男女格差、ジェンダーの根本にあるもの | 大自由の翼のブログ

大自由の翼のブログ

ブログの説明を入力します。

私が定期的に参加している会合で視聴を勧められた動画3つを見て感想と自分のアクションを書きいてみました。


1.  ジャクソンカッツ「女性への暴力-男の問題」TED日本語 - ジャクソン・カッツ: 女性への暴力―男の問題 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)


(1) アメリカでも日本でも、「暴力」というと被害者である女性に焦点が当たってしまい、加害者である男性に焦点が当たらないというのは共通していると感じた。


(2) 英語の言語構造の問題もあるのでしょうが、「ジョンが殴った。」となると、「誰を殴ったの?」という質問が出てくる気がするけど、「ナンシーが殴られた」というと、まず「怪我はない?大丈夫?」と殴られた人のケアが第一優先されるあまり、殴った当事者に関心が最初はいかない傾向はあるのかなと感じた。勿論その後警察に逮捕されたり、刑を受けたりするのはあるけど、社会の中で、暴力が起こるのが無意識に当たり前になっているようにも感じた。


(3) ジャクソンカッツさんの言う通り、男女の関係性は男女二人の問題としても、女性への暴力は男性の問題であるということは言わずもがな同意する。暴力が起きたときは、事情・理由を問わず、ほぼ加害者側に問題があるということを、社会に発信していきたいと思った。


2.  ジャスティン・バルドーニ「男らしく」在らんとすることをやめた理由

TED日本語 - ジャスティン・バルドーニ: 「男らしく」在らんとすることをやめた理由 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)


(1) ジャスティン・バルドーニさんが、役者として「男らしい」役をもらってばかりいるという話を通して、「男は強くあらねばならない」という価値観がアメリカ社会に強く根付いていると感じた。そして実生活でも男らしさを演じるという話は衝撃だった。そして、これは子供の頃から植え付けられているということに恐怖を感じた。


(2) 大概の男性は自分たちの弱さを認めることができないと感じたし、逆にそれができるようになれば、男性だけでなく女性も生きやすくなると感じた。


(3) SNSで「男らしさ」を強調した投稿をしたら、男性の閲覧数がかなり増えたけど、子供と遊ぶ姿やパートナーと楽しんでいること、パートナーや子供を愛していることをを投稿したら、女性しか投稿をフォローしなくなったという話に驚かされた。


(4) ジャスティン・バルドーニさんが、パートナーの話を最後まできちんと聞く姿勢を持っていなかったことをかなり厳しく自問をしなければならないという話をしていたが、これはDV加害者であれば誰もが必要なプロセスであると感じた。


(5) この動画を通して、まず自分が自分の弱さを認めることから始めることだとは感じたが、いかに自分が固定された価値観や考えに気付いてそれを手放していくかが鍵だと感じた。もともと私は社会でいう男性らしさにはついていけないところはあったが、子供時代を考えると、「男は強くあるべき」という固定された価値観はとてもあり、それに対抗しようと腕力でなく、知力を磨くために猛勉強している面もあったと思い出した。


(6) 自分の弱さを認めて自分の本心と行動が一致するようにするため、自分の行動や言動、思考、感情、アインでティティとこれからも向き合っていくとともに、周りの人たちの固定された考えや価値観、アイデンティティもリセットして「本当は、自分はどうありたいのか?」を考えてもらえるような環境、状況、モチベーションを作る側になりたいと感じた。


3.  トニー・ポーター:男たちの提言 TED日本語 - トニー・ポーター: 男達への提言 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)


(1) お話を聞いていて、人種に関係なく「男とはこうあるべき」という固定概念があることに改めて気づかされた。プレゼンターの男性の父親が男性の兄弟を幼くして亡くした後、女性の前で泣くことができず、女性をトイレ休憩に行かせて一人で泣いていたというエピソードや、男性が泣いている息子に、泣いている理由を聞いても分からず父親としての役割を果たせない自分に苛立ちを感じて部屋に戻りなさいと𠮟責したというエピソードは、自分が小学校高学年の塾の先生は「男の子なんだから泣くんじゃありません。」という言葉と一緒だなと感じました。ジェンダーバイアスはいたるところにあるのだなと感じた。


(2) プレゼンターが10代だったころ、友人がレイプしているところの現場に連れていかれて、非常に嫌な気持ちになり、セックスしたように見せかけて何とか逃げた話は自分ならどうするか?考えさせられました。


(3) 男性が主流で、女性は付属品で性交渉の対象に過ぎないというリアルが衝撃だった。


(4) 男性が自分の9歳の息子に「男性という決めつけがなくなったらどうなるのか?」と尋ねたら、「自由になるだろうね」という回答をしたことを聞いて、9歳ですでに男性であると決めつけられていることを感じるのか?と悲しくなりました。


(5) 上記2の話とかぶりますが、男性、女性という区別の前に同じ人間という共通意識を持つことが大切であると当時に、その関係性に上も下もない、優劣はないことを男女お互いに認識し合えるそんな社会を気づいていくために、自分としては、女性も男性も女性らしさ、男性らしさという決めつけに縛られて苦しめられていると同時に、「なぜ男性が優位でないといけないのか?女性はなぜ付属品と考えるのか?」などの質問をして、根拠のない考えに自分が囚われていることに気付いてもらえるような投げかけをしていきたいと感じました。


4.  3つの話を聞いての感想と自分のアクション

(1) 人間の歴史を紐解いていけば、古代から中世は王様などの権力者による暴力によって社会の秩序を保とうとし、近代はお金や財力のある投資家や経営者たちがそれらを使って労働者を支配していました。またそれに対する反発や抵抗も、革命やデモなど攻撃的であり、暴力的でした。ガンジーやキング牧師など非暴力で反発・抵抗をしようとする勢力もありましたが、大半は人間の歴史は見える暴力や財力といった見えない暴力を使っており、DVは暴力も財力も使った卑劣な行為であると改めて感じました。


(2) これまでの歴史で女性が排除されてきたのは、古代から中世にかけては誰かが誰かに戦争という暴力をふるい、相手を支配するやり方で社会を治めていたので、女性は全体的に身体的に弱く、子供を作るための道具としか扱われていなかったのではないかと思います。なので、古代~中世は男性化した女性が敬われる時代だったと思いますので、女性はずっと過去の人類歴史で生きにくい社会を生きてきたのだなと感じています。そして、男性も女性もその過去のイメージをずっと引きずり、時代が過ぎて今になってもそれが解決できてないのだと気づかされました。


(3) 今回の3つの話を聞いて、これまでの人類の歴史で男性や女性がどんな役割をしてきたのか?どう生きてきたのか?をしっかり理解したうえで、女性の問題意識、男性の問題意識を整理したうえで、なぜ男女間で暴力が容認されてしまうのか?なぜジェンダー的な規範や男女差別が生まれてしまうのか?そもそも何が問題なのかなど根本原因・根本問題を皆で考える機会が必要だと感じました。


(4) これまでの歴史の男女関係、パートナーシップを根っこから変化させる時代に生きていていることは、ものすごく恵まれていることだと感じます。


と、ここまでは割と何とか受け入れられる書き方をしましたが、認識技術から見ると、そもそも男とか女とかで分けている時点で、違いや部分しか見ていないので、ここで境界線、格差が作られてしまいます。

なので、差別やジェンダーが自然と起きてしまうのです。


男も女もない共通土台から出発すること。認識技術では、源泉動き1、永遠不変の動き1つに自分がなること、そこからでないと男女の違いを楽しむことができません。


今回の動画を聴いて、ますます認識技術を学ぶ必要性を感じました。