そもそもの若者の定義って? | 大自由の翼のブログ

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今夜も令和哲学カフェを視聴しました。



今週も若者の出演者が、我が行くべき道とは?をテーマに話をしています。


先週までは、哲学者や経済学者を取り上げていましたが、今週は6期の総仕上げで、どんな国を若者が作っていくのか?という話を展開するようです。


今夜は、若者の定義を考えてみようということでディスカッションしました。


若者というと、無限の可能性、エネルギーが満ち溢れている、元気がある、勢いがある、チャレンジ精神が溢れている、活発というイメージがある一方で、未熟、お金がない、分別が曖昧などマイナスなイメージもありますね。


若者とは違うかもしれませんが、小さい子供が元気なのは、好奇心か旺盛で、無知な状態から知りたい気持ちに溢れているというのはありそうですよね。

大人になっても好奇心旺盛だと若々しく見えるかもしれません。


ディスカッションを聞いていくつか気づいたことや感じたことがあるのですが、まず感じたことは、この人間社会が知っている世界で溢れていて、それが人間の心を縛り上げて、自由を奪い、心が死んでいる人間が多いということ。


出演者の一人が、学生時代は、やりたいことがあれば、他の予定を調整してでもやりたいことをやっていたけど、社会人になると、やるべきことが増えて、やりたいことをする時間やお金が限定されてしまうし、会社では結果を求められるので、利益になるのか?売上に貢献するのか?みたいな考えも出てきますね。


社会人になると、子供の自分が否定されて、大人の自分にならなければならないという無意識の圧力を感じたり、自分で圧力をかけてしまうこともあるなと感じました。

これは自分のアイデンティティを設定して固定してしまう行為だなと。


若者の特権として、バカになれる、背負うものがないという話が出ましたが共感。地球🌏を蹴飛ばすくらいのエネルギーが若者にはあるという表現が面白かったです。


そんな流れで、若者の定義をこれまでの脳秩序ではなく心秩序に変えていくこと、つまり、純粋な心そのものになって、一番速いスピードになるという定義が面白かったです。

一番無制約で大自由だし、知っている世界から解放されているイメージが持てました。


それ以外に気づいたこととして、若者がやりたいことをやるというのはいいんだけど、個人個人で認識がバラバラなままでやりたいことをやるだと、関係性が生まれないし、限界がくる感じがしました。

なので、社会が抱える根本問題と自分のやりたいこと、問題意識や意志が繋がることが重要で、それが社会にワクワクなエネルギーを作り出すと感じました。


令和哲学者ノジェスさんは、若者に力がない原因を知ることがまず重要だと。以前は大学を出れば、その当時の最先端技術を持って仕事ができたけど、今はAIなど技術の進化が著しく、学んだことの賞味期限が非常に難しい。だから若者が未来を作る主人公になることができない。


認識技術は賞味期限が永遠に近いくらい長いので、歴史最高最強の技術を持つ若者になれるという話に、おじさんな私でも新しいことをやりたい気持ちになりました(笑)。


イーロンマスクやビルゲイツが若者に戻れるなら戻りたいというのは、何もないところから始めることにかげかえのない魅力を感じるからだという話になるほどと感じました。


話を聞いていて、今は情報過多にもなっていて、知っている世界から自由になるのが難しい社会になっている。人間はいろんなことに束縛拘束されていて自由になりたいと無意識に感じているのだと思いました。

それを究極に実現できるのが認識技術なんだなとしみじみ感じました。