観点の問題を本当に分かっているのか? | 大自由の翼のブログ

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妹家族の家から帰宅して、以下のオンラインイベントに参加しました。


1. SAMURAI道場

2. パーソナルユニバース読書会


1. SAMURAI道場

今回は問題意識の深さの質が先進性を決定するというテーマで、令和哲学者ノジェスさんが話をしました。


観点の問題は、

①自分の観点が完全と思ったら頑固になり、不完全と思ったら自信感がなくなる。

②相手の観点を否定したら相手は怒るし、肯定したら従うしかない

③観点がバラバラな状態ではまとまらないし、観点を一つにしても機械やロボットになってしまう。

と整理していますが、今回はこれに、生きていても観点はあるけど、死んでも観点が働く、死んで生まれ変わっても観点が働く。観点はずっとつきまとうという話がありました。

何も知らない人や認識技術を学んでまだ日が浅い人にとっては衝撃だろうなと感じます。

観点を人の物事の捉え方と考えればこの理解はかなり難しいですが、観点が存在や現実が生まれる最初の原因、第一原因と定義すれば、死んだ後も人間の体は物質レベル、エネルギーレベルでは残る。

そう考えると、観点をゼロ化するって簡単に自分は言っているけど、これができる技術がどれだけすごいのか?を感じたし、これができないと観点の中で束縛されて苦しいだけだというイメージがきました。

また、この観点の問題が、西洋哲学者やジーザス、お釈迦様すら気づかなかったことを考えても、どれだけ人類は苦しんできたのか?ということにもつながると感じました。


存在論では、どうして存在が生まれるか説明できない。非存在から存在が生まれるとなるとわけが分からずに諦めと絶望がくる。

仮にワンネスが分かり、この世界が全て自分の意識だと分かったとしても、その意識がどこからくるのかどこに行くのか?が分からない。

認識技術は、観点ゼロ、オリジナルマインドから、5つのエネルギーのアルゴリズムを通って、存在物質を含む現実が生まれていることを明確に語れるということがこれまでと全く違うところなのだと気付かされました。


観点ゼロから観点♾を楽しむことができるそんな人生を送るためにも日常生活における認識方式を早くそちらにシフトしていこうと思いました。



2. パーソナルユニバース読書会

SAMURAI道場の後、読書会に参加。



最初は3名参加でしたが、途中2名が参加。

振り返りはWBCの話とSAMURAI道場の話がメインでした。


その後パーソナルユニバースの209〜216頁を深めました。

マインドームコミュニティという新しい組織について書いてあったのですが、DAOという分散型自律組織の完成形?という話がありました。


マインドームコミュニティは、PUスクリーン感覚を持った人たちが、5人組、25人組、125人組・・・と共同体組織を大きくしていくのですが、観点ゼロを共有できる仲間の集まりなので、共同体意識が深いだけでなく、課題解決の質とスピードがこれまでの組織とは違うという話がありましたが、今回それがしっくりきました。


観点が固定されている状態、PUスクリーン感覚という共通土台がない状態では、個人と個人、組織と組織、国と国との観点がぶつかり合い、お互いに理解しあえず、課題の共有や解決がおぼつかないなと。

これが観点ゼロになった時に、いろんな人の話が抵抗なく聞こえるようになり、自分のアイデンティティやあり方が共同体やそのビジョンそのものになることも可能だし、自分以外の相手と共有共感することができるので、お互いの信頼関係を深くすることもできると感じました。


今日も深い学びができて嬉しかったですね。