世界を統一しようとしていた日本人がいた | 大自由の翼のブログ

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今夜も令和哲学カフェを視聴しました。



金曜日は1928年から1945年を取り上げています。


この時代になっても、世界の覇権戦争はずっと続いていましたが、対立構造がある程度はっきりしてきた時代でもあるのかな。


それが「自由主義🆚共産主義🆚アジア主義」かなと。

またドイツやイタリアはファシズムにもなっていった時代ですね。


日本はアジア主義を掲げて、東亜新秩序を作ろうとしていた。

中国を支配していた清は、元々は満州民族が支配していたらしいのですが、清か倒れた後はいろんな民族が台頭して、南部にいた蒋介石が北伐をしようとして、満州民族は追い込まれていった。加えてロシアも南下してきたため、満州民族はさらに追い込まれる。

ロシアが南下して満州を支配してしまえば、日本にも容易に攻撃してくる。

そんな背景もあり、日本は満州民族を支援するべく、満州国を作ったというのが大雑把なストーリーでした。


そんな中、活躍したのが、石原莞爾でした。


石原莞爾


私は石原莞爾という人を全く知らなかったのですが、長岡美妃さんのプレゼンを聞いて、こんな人が第二次世界大戦の時代に日本にいたのかと驚かれたと同時に、この方の考えやビジョンを聞いて、改めて認識技術を使って尊厳共同体を作り世界を和する必要があると感じたし、石原莞爾という人物を生み出したこの日本がそれをやるミッションがあるんだと感じました。


ボリュームがありすぎて全てを話しきれないので、かいつまんで言えば、


1. 当時日本ではアジアの近代化をアジア自身がやるということを掲げていたが、石原莞爾は、さらにその先を見て、日米が戦うことになることを予想していた。そして、その勝者が世界統一をイメージしていた。


2. 満州国の中で、建国大学を創立したが、この大学は日本人だけでなく、ロシアや中国、韓国など他の国からも若者を集めて、喧嘩するくらいのディスカッションをさせて、五族共和を掲げていた。義をベースにしたリーダーを作る、一切のタブーはなく完全平等、垣根を設けずいろんな人を大学に受け入れようという精神があった。


3. 満州国をユートピアにしようとしていた。


4. 世界最終戦争をして、日本がアジア諸国と東亜連盟を結んでアメリカに対抗、日本が勝利した後に世界の道義的統一をして、八紘一宇で、世界統一永遠平和を目指そうとしていた。


そんな話がありました。


ただ、やり方が軍事戦争でそれをやろうとしていたので、世界の道義的統一や八紘一宇はかなり厳しいなと感じたのと、当時の日本は軍国主義であり、石原莞爾が中国と連携することを考えていたのに対して、東条英機はそれに反発していたことも含めて馬が全く合わなかったため、上記の3や4は実現することはありませんでした。


石原莞爾が東条英機のことも理解することも含めて戦略的に実行すれば良かったかもしれませんが、東条英機をバカ呼ばわりしてしまったため、軍から追い出される格好になってしまったのは残念でした。


ただ、石原莞爾という人間が、この日本に生まれていたということは、日本にまだ可能性がある、いやむしろこれからだという思いにさせてくれるし、令和哲学や認識技術を学んでいる人から見れば、彼の遺志を引き継ぐことができると感じました。


ただ、そのやり方として、軍事戦争ではなく、教育戦争で世界を和することが大切だと感じます。


それにしても、石原莞爾のような人物があまり日本でも知られていないのはなぜだろう?と思い、質問を投げてみたのですが、東条英機が政府の要職につき、石原莞爾は表舞台には立たなかったこと、またアメリカにとって日本に自虐史観を持たせるには東条英機は好都合だけど、石原莞爾は邪魔な存在だったことも背景としてはありそうだとのことでした。石原莞爾は本質を見抜いていたけど、それが周りに理解されていなかったことに加えてタイミングではないという話もありました。


今日はかなり濃密で、ブログでは書ききれない感じがあるのは残念です。


アーカイブを是非見てほしいです。