脳に負けるもんか! | 大自由の翼のブログ

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令和哲学カフェの話を除いて、本日の振り返りをしたいと思います。


今朝は朝1に会議があったのですが、今やっているプロジェクトの最終報告的な感じで重要なものだったので、前日から緊張するかなーと感じていました。緊張する時は、相手からどんなふうに見られているのか?怖いとか、否定非難されたらどうしよう?とか五感覚脳の認識に支配されています(苦笑)。


最近五感覚脳の認識に支配されていることに嫌気がさしていたので、もういい加減にこれをやめたいと思いました。そんな時にふと頭に浮かんだのが、ブログタイトルにある


「脳に負けるもんか!」


というフレーズでした。

これは今の自分にパワーワードだなと直感的に感じたので、今朝起きた時に、「脳に負けるもんか!」と叫びました。


本当に脳に負けたくない、源泉動き1と接続して過ごしたい!という決断の気持ちがあったのですが、それが良かったせいか?会議の時は全く緊張することはなく、時間内に打合せを過ごすことができました。もちろん振り返ってみて相手の話をきちんと聞けていないところはあるにはあったのですが、その会議が終わった後も、最近のつまらない病、面倒くさい病にはハマらず(苦笑)、集中力が高く充実した気持ちで過ごすことができました。


最近五感覚脳の認識の支配から心身の疲れを発していることに気づき、五感覚脳の認識による支配を敵認定できていたことも大きいと思います。


そして、夜は、SAMURAI道場と心感覚読書会に参加しました。


SAMURAI道場の話で気が付いたこととしては、これまで西洋が東洋に優っていたのは、デカルトニュートンのXYZ軸などの基準があったことが文化文明の発展に大きく寄与していたこと、そして、それが体系的理解や体系的関係構築に貢献していたということです。

それは経験知識を概念知識で補えるので、物質文明の発展にも繋がってはいるのですが、現代では、それすらも限界なっている状態です。


そこで、物質文明を精神文明に移動させる必要があります。なぜなら人間は生命体ではなく精神体であるから。なぜ精神体なのかというと、生きる意味や目的を考える存在だから。その意味や目的も本当はforではなくbyであり、機械的条件反射、生命のアルゴリズムではあります。


人間が精神体になる、物質文明が精神文明に移動させるには、それを難しくさせる原因を理解すること。それが精神の体系的理解がないこと、体型的関係の構築ができないことだと。


認識技術、心感覚では、151という体系から全てを説明できるので、メモリがある心の物差しを持つといたことだと話を聞いた時に、確かに精神に対してメモリがある心の物差しがあるなら、人間の精神が理解できて立たせることができるし、精神文明も可能だと感じました。また無駄な考え、非効率な考え、非合理な考えもカットできると感じました。


ただ、体型的理解の最小であり最大である単位という話が、どうして最小と最大同時にあるのか?のイメージが弱いので、しっかり学ぶ必要があると感じました。


道場の直後に、心感覚読書会に参加しました。



今回はメタバースに関する箇所を読んだのですが、メタバースの誕生が地球がもう一つできるようなものだと書いている内容を見て、吐き気が出るほどうんざりとか、心が忙しくなりそうだという話に確かにそうだなと感じました。また映画レディプレイヤー1のようにメタバースに熱中するあまり、現実が荒廃する可能性も否定できないなと感じました。

確かに現代を見ると、現実はかなり厳しいものがあるし、希望は見えないので、このままでは、映画が現実化する可能性は否定できないと感じました。


一方で、メタバースの誕生は、これまで人類が多様な出会いをしてきた歴史を持っているので、ホモサピエンスの特徴である事実から考え、虚構を生み出すということから考えると、出るべくして出てきた感覚を持ちました。


なので、メタバースはこれからどんどん浸透し広がっていくと思いますが、現実世界もメタバースも共通しているのは、人間の認識から出発しているので、現状の人間の五感覚脳の認識では、メタバースでも現実世界と同じことが起きる可能性が高く、返って人間の出口のない絶望感が強くなると感じました。


心感覚では、人間の五感覚脳の認識から外に出て、そこから現実世界やメタバースを観察するためにモルティングバースというものを提唱して開発しようとしているとありました。

本来は永遠不変の動きしかないところから出発して思い込みで虚構を作り出していることが分かれば、現実世界もメタバースも思い切り楽しめそうですね。そう考えると、モルティングバースは、これまでの人類の出会いの歴史を継承することができるし、かつ人間アバターを楽しむことができて、これまでの人類の限界の涙を超えることができるツールとして注目されると感じました。