自己否定の本質 | 大自由の翼のブログ

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今夜も心感覚の読書会に参加しました。



今夜も心感覚195頁から207頁のなぜ地獄が必要だったのか?という箇所を読み、ワークを行いました。


今回のワークは自分が何者か分からないことが苦しみ、屈辱になるのはなぜか?とか自己否定について考えました。


最初自分が何者か知らないことが苦しみになるというのはイメージできたのですが、屈辱になる理由がイメージできませんでした。


しかし、議論をしていくうちに、これを自己否定と繋げて考えると深まることに後になって気付きました。


心感覚では、人間は自己否定する仕組みになっていると明確に言っています。よくよく考えてみると、赤ん坊で生まれてきて、五感覚脳で観察したら、自分が思い通りに物事が進んでいくわけではなく、自分の意志とは関係なく時間が流れ、物事が進んでいくわけです。

まして赤ん坊であれば、それに言葉で伝達することができず、泣くことでしか表現できません。だからこそ、周りの人間の協力を得ながら、赤ん坊は自然と自分で学んでいき、何とか自分の思い通りになるようにいろんなことをしていくわけですが、基本自分の思い通りになるものはほとんどなく、やはり自分の意志とは関係なく時間は流れ、いろんな事件が起きてきます。


自己否定の価値としては、自己否定するから「このままじゃいけない!」など人間が変化する原動力になりますが、結局それをやったところで、自分の認識の変化にはつながるかもしれませんが、自分が環境や状況を統制するというところまでいくのか?というと、それだけではまだ不十分ではないか?と感じました。


自己認識イメージの変化はプロセスとしては大切だと思いますが、それはあくまでプロセスであって、自己否定の本質は、これ以上否定できないところまで否定することなのではないか?と。そこまで否定して、自分がない、源泉動き1しかないところから出発して、自身で宇宙コンピュータを立ち上げることができるようになった時に、初めて、環境や状況を統制できるようになると感じました。


それができない限り、人生は周りの環境や状況に合わせざるを得なくなり、苦しみと屈辱に溢れてしまうと感じました。