地球市民憲法の第一原理 | 大自由の翼のブログ

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今夜も参加しました令和哲学カフェ。

【11/8〜11/17】NO DIGNITY, NO LIFE !! | 令和哲学カフェ

https://reiwaphilosophy.com/

本日から第3期の最終ステージの2週間が始まりました。初めて現場参加される方もいてフレッシュな感じがしました。

この2週間は久々にカント哲学を深めるということで、私の認識がどう変わっているのだろうという意味でも楽しみでした。

最初のプレゼンでは、カントの生きていた時代とカント哲学が生まれた時代背景を三大理性批判と認識の構成要素(感性、悟性、理性)から説明した感じでしたね。

そのプレゼンを背景として、ディスカッションのお題が、ブログのタイトルにもある「地球市民憲法の第一原理とは何か?」というもの。

この質問が出た背景として、カントは個人個人が納得でき自ら守ろうとする定言命法という概念を生み出したけど、これが社会で実現することがなかったところから、カント哲学の限界を考える意味で、定言命法を超える地球市民憲法を作るために何が必要なのか?第一原理は何なのか?という問いかけをしたというもの。

現場では、正しく知っていることは一つもない、自分が正しいと思っているものを手放す、違いがないことを理解する、共同体の利益を優先する、絶対世界と相対世界を理解するという主張でした。

正しく知っていることは一つもないことを知ると、自分が正しいと思っていることを手放すことができる。それを次々と手放していくと、自分と自分の宇宙は存在しない絶対世界になるけど、ではそこからどうやって相対世界が生まれるのかの関係性について追求して理解していく、やがて違いがないことを理解して、自分も他人もなくなるので、共同体の利益を優先することが可能になるという整理になったように思います。言葉は少し違うと思いますが。

では、このチームビルディングを通じて、カント哲学の限界は何なのか?について考えてみました。
ノジェス氏曰く、カントは五感覚脳の認識の外の世界、絶対世界、カントの言葉では物自体があるのは認識していたけど、それを理性で説明するのに失敗したと。別の言葉では、イメージ不可能な世界がどんな用途機能を持っているのかを解明できなかったとのこと。

五感覚脳の認識の外の世界、令和哲学では源泉動きはイメージ不可能、認識不可能な世界なので、説明するのはとても難しいし、カントがその部分を説明しなかったのも一理あるとは思います。

が、そこを明らかにしないと、誰もが納得できるような定言命法は作れないし、まして地球市民憲法なんて作れないと感じました。なぜなら人間五感覚脳の認識は個人個人バラバラで共通を認識できないからです。

カント哲学に改めて触れてみて、令和哲学にすごく相性がいいのを実感しました。