食神の影響で私は本当に食べる事が出来なくて困った事がありません。


だから逆に悩んだ事があります。


「世界では大変な思いをしている人がいるのに、こんなに食べられ続けて良いだろうか」と。



自分は罪人であると思うようになってからは更に苦しくなりました。


解釈が間違っていたら申し訳ないのですが、新約聖書を少しずつ読んでいて、ファリサイ派の人々がイエス様と弟子たちが罪人たちと食事をしている所を見て、弟子たちにした質問に対してイエス様が

「私が求めるのは憐(あわ)れみであって、いけにえではない」

と言われいました。


この部分を読んで、私は感謝する心を忘れていたなぁと思いました。


悩み落ち込むのではなく、与えられている事に感謝する、食べられ幸せを感じる感謝の心を神様にお返ししていく事がまず大事だったんだなぁと思いました。


与えられる環境は人それぞれ。


その内容をどのように神様に捧げていくかが大きいなぁと思いました。

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