もしかして彼女は、結婚さえすれば、なにか魔法がかかっていままでの生活がすべて良いほうへ傾くとでも思っているのだろうか。それはない、結婚は通過点であり、結婚後いっしょに生活するのもいまと変わらない僕たちだ。
(p.84)





綿矢りさ先生「しょうがの味は熱い」読みました。こちらは三度目くらいです。


彼女は私の最も好きな小説家のひとりです。インタビューなどでご本人を見ると、ほんわかしたやわらかい人柄なのが伝わってきて、あのこわれもののように繊細な表現と作者のイメージがぴったり合う!


でも綿矢作品のよいところは、その中にも毒というか、影の濃い部分というか、とにかくギャップがある。ほがらかな気持ちで流れるように読み進めていて、思わずハッとする一文にたどり着いたときなんかは、やわらかいと思って夢中で触っていたぬいぐるみの中に針がひそんでいたときのような衝撃。油断し切っていた指先に小さな赤い玉。




なんの準備もできていないのに戦場に駆り出される気がした。考えておくと言った僕に、なにか言いたいことがありそうな複雑な表情でうなずいて見せた奈世が、長年共に暮らしてきた人ではなく、他人に見えた。
(p.84)



リアリティは恐怖である。
誰でも人生で一度は通るような、悲しくて深くて重くて身動きの取れない、男女の間に漂う憂鬱や痛みやすれ違いや愛。


結婚ってなんだろうなーと考えたとき、私は弦と同じ意見ではあるけど、一緒に暮らしている彼女が結婚を望んだからといって、幸せなはずの生活を戦場と呼び、他人に見えたなんて言わないで欲しい。悲しい。


結婚はあくまで夫婦の始まりだなぁと思います。
これから先なん十年もかけて、お互いが男と女、彼氏と彼女から、夫と妻に、夫婦になっていくのですね。

新婚の頃なんて夫婦ごっこをしているようなものかもしれない。重ねていく生活の中で、形を見つけていくものなのかもしれません。