たとえば次の文を生徒に訳させます。
He went to a diamond mine.
"mine" には、代名詞「私のもの」の他、
名詞で「鉱山」「地雷」等の意味もあります。
上の例文の "mine" は「鉱山」です
でも、多くの生徒は「私のもの」しか知りません。
そのため、上の例文を訳させると、
生徒たちは頭を抱えてしまうんですね
「ダイヤモンドは私のもの……
私のダイヤモンドを取りに……う~ん」
彼・彼女は何分間も悩んだ挙句、
意味不明な和訳をします
そういう生徒に対して、
僕はかなり厳しく接しています
「ここの "mine" が
『私のもの』のわけないだろ?」
キレ気味の僕を見た生徒は、
口をモゴモゴさせながら言い訳します
「えっ、でも、"mine" は
『私のもの』って習ったし……」
僕の怒りが爆発するのは言うまでもありません
ここで僕が怒るのは、
勉強に対する生徒の姿勢がなっていないからです
生徒は自分の知っている知識に固執して、
それ以外の可能性を一切考慮しません。
「おかしいな?」と思っているにも拘らず、
自分の貧弱な知識だけで
何とか誤魔化そうとしているんですね
そういう姿勢がダメなんだよ!!
僕は↓を生徒によく言います。
「自分の解答に対して、
きっちり裏を取るようにしなさい!」
「『何となく』で答えるな」ということです。
勉強では、何故その答になるのかを
しっかり理解する必要があります。
でも、多くの生徒はそれができていません
正解した問題は○を付けて終わり。
間違った問題は赤で答を写して終わり。
特に、似たような問題を知っている場合、
解説すら読まずに終わらせる生徒が多過ぎます。
たとえ間違った問題に違和感があっても、
自分の知っている範囲で理解した気になり、
それ以上深く追求しようとはしないんですね
結果、分からない問題は
永遠に分からないままです
違和感があったら
面倒がらずに辞書や参考書で調べる
常に「何となく」で答える生徒には、
このような習慣を身に付けさせるべきです。
ちょっと調べれば分かることがほとんどです。
それすら面倒がっているから、
生徒たちの頭の中は誤った知識で凝り固まるのです
問題で行き詰ったら、
自分の知っている知識に疑いを持ち、
他のあらゆる可能性を考慮してみる
これが普通にできるかどうかが、
生徒の学力が伸びるかどうかに影響します。
"mine" の意味なんて
辞書を引けば簡単に分かることです。
それを怠った生徒の姿勢に僕は激怒するのです