僕の指導は、依然として厳しいです。
もちろん生徒にもよりけりですが、
僕の指導を何年も受けている生徒には
かなりキツイことを言う場合があります。
何回も同じことを説明されているのに
いつまでもそのことができない生徒には
次のように言って追い詰めます。
「そんなのもできないとマズイよ!」
「●●をいつまでも覚えられないなら、
受験そのものを諦めたらどう?」
こういうセリフを言うことに対して、
「生徒を傷つけて
委縮させるだけだから良くない」
と言う指導者や保護者がいます。
それはそれで一つの意見ですから、
自身の指導ではそういう方針を貫いてください。
一方、僕は、
何でもかんでもオブラートに包んで
生徒を傷つけないように配慮する指導
には断固として反対します。
もっとも、僕だって
常に厳しく生徒に接するわけではありません。
最初のうちは細かい点に目を瞑り、
生徒の良いところだけを見ながら
「君は~が良くできるね」から入ります。
いわゆる「褒めて伸ばす」ですね。
そして、「褒めて伸ばす」戦略で
その生徒が順調に伸び続けるなら
僕だって厳しく言うことは一切ありません。
ただ、家庭教師を依頼してくるレベルの生徒で、
「褒めて伸ばす」だけで何とかなる生徒はほとんどいません。
まして、上位校を受験したい、という生徒は尚更です。
「褒めて伸ばす」だけで順調に伸びていくのは、
誉められたことをきっかけにして
誉められたこと以外も頑張れる生徒だけです。
そういう生徒は、少なくとも学校生活で問題を抱えません。
一方、多くの生徒は、
褒められただけでは頭打ちになります。
そういう生徒の特徴として、
大切なことをいつまでも覚えない
というのがあります。
●●という用語を覚えられない生徒がいます。
もちろん、2、3回で●●を覚えられなくとも、
「2、3回じゃ覚えられないから、
何度も繰り返して覚えてね~」
と最初のうちは僕も流しますよ。
でも、10回も20回も確認しているのに、
いつまでも●●を覚えない生徒には
冒頭のようなきつい言葉を浴びせます。
何回も同じことをやっているのに
どうして生徒は●●を覚えられないのか?
理由は簡単です。
その生徒の中に
「●●を覚えなければダメだ!」
という危機感が無いからです。
極端な例ですが、次のような状況を考えてください。
「明日までに●●を覚えられなければ死刑」
そういうふうに国家が定めたとしたら、
多くの生徒は明日までに●●を覚えようとしますし、
ほとんどの生徒はきちっと●●を覚えられるはずです。
でも、現実はここまで過酷でありません。
そのため、生徒に中に
「●●を覚えなければダメだ!」
という危機感が自然と芽生えることはないんですね。
誉められて伸びる生徒は、
「●●を覚えて先生に誉められたい!」
という切実な思いがあるからこそ、
自発的に必死で●●を覚えようとするんですよ。
「褒められたい!」の裏返しは「怒られたくない!」です。
誉められて伸びる生徒は、
「怒られたくない」という危機感に
突き動かされているとも言えるでしょう。
誉められても伸びない生徒は、
上記のように自ら危機感を喚起することはありません。
そうであれば、外部から危機感を喚起するしかありません。
「●●は覚えにくいからね。
次までに覚えてくればいいよ」
なんていつまでも指導者が言っていたら、
「じゃあ、今直ぐ●●を覚えなくても良いんだ」
と生徒を安心させてしまいますよ。
それで生徒が●●を覚えられるんですか?
僕も、ある程度のところまでは、
生徒のできない・覚えられないを許容します。
でも、その一線を越えても尚
できない・覚えられない生徒は、
キツイ言葉で追い詰め危機感を抱かせます。
僕に叱られたことをきっかけにして、
生徒が自分自身を変え、
その後順調に伸びていくという事例を多く見ています。
もちろん、いつまでも変わらない生徒や、
叱られたことをきっかけに僕の許を離れる生徒もいます。
ただ、そういう生徒はその後ロクな目に遭っていません。
それが現実というものです。
僕の指導が厳しいと言われる所以は以上の通りです。
僕に叱られたくない生徒は、
自ら危機感をもって日々の勉強をこなしてくださいね。