タリウム少女の毒殺日記@渋谷アップリンク | 江東区の家庭教師&ライターのみみずく~半蔵門線・大江戸線沿線及びオンラインで指導中~

江東区の家庭教師&ライターのみみずく~半蔵門線・大江戸線沿線及びオンラインで指導中~

江東区周辺で家庭教師&ライターをしています。
半蔵門線・大江戸線沿線での対面指導だけでなく、Zoomを使ったオンライン指導も可能です。
学校の補習、高校受験・大学受験、推薦・AO入試対策等、家庭教師としての活動記録です。

8月1日の木曜日。


この日の夜、

僕は渋谷アップリンク に足を運びました。

観たい映画があったからです。


その観たい映画というのは、以下の作品です。


タリウム少女の毒殺日記


ちょうどこの日は映画の日で

1000円で鑑賞できました。

しかも、上映後に

土屋豊監督の舞台挨拶まで……


とてもお得な一日でした!!


『タリウム少女の毒殺日記』について、

僕は特に予習無しで観に行きました。

そのため、壮絶な勘違いをしていたんですね。


『タリウム少女の毒殺日記』は、

そのタイトルからも分かる通り、

静岡母親毒殺未遂事件をモチーフにしています。


静岡母親毒殺未遂事件は、

僕がリアルタイムで注目していた事件です。

当時、新聞記事を切り抜いて、

スクラップブックに貼り付けていました(笑)


そんな青春のほろ苦い思い出と相俟って、

僕は『タリウム少女の毒殺日記』を観に行くことに……


実際の事件で逮捕された少女の内面が、

ドロドログチョグチョの人間ドラマとして

映画では描かれるのだろうと僕は期待していました。


その期待は良い意味で裏切られました!!


『タリウム少女の毒殺日記』は、

ドロドログの人間ドラマなんかではありません。


現代社会に警鐘を鳴らす、

爽快感溢れる作品です!!


主人公のタリウム少女(倉持由香)は

徹底して傍観者になろうとします。


母親にタリウムを摂取させる。

ハムスターにアンチモンを摂取させる。

金魚を透明標本にする。

チャットレディを演じる。

自らのイジメを第三者的に観察する。


全ての行為・現象が淡々と描かれますが、

そこには常に少女の疑問がつきまといます。


「美容整形と遺伝子操作は、どう違いますか?」

「何が違うのか、わかんない。そんなこと、誰が決めたの?」


タリウム少女が観察しようとしているのは、

現代人が「当然だ」と考えている区別の根拠です。


タリウム少女が指摘するように、

食べる魚と観る魚の区別だって実は曖昧です。


いや、多くの人達はその根拠を

「倫理」「道徳」「神の意思」などに求めるでしょうか?


しかし、これらの根拠が人為的・恣意的だという事実を、

タリウム少女の視点を通して、僕達は垣間見てしまうのです。


表面的な常識・良識をはぎ取ったとき、

そこに現出するのは社会性などではありません。

剥き出しになった人間の欲望が渦巻いています。


教師は、

タリウム少女がいじめられる動画を見て、

「これは大変なことだ」と口では言います。

でも、実際に教師がとった行動は自慰です。

いじめられる少女を鑑賞しながら、

自分の性欲を満たすことに没頭します。


タリウム少女の母親は少女に激高します。


「どうしていつもそうなの?

私の育て方が悪かったの?」


母親の言葉にあるのは、

少女の疑問に向き合おうとする真摯さではありません。

理解の範疇を超えた少女に対する苛立ちを

ただただ相手にぶつけているだけです。


タリウム少女が傍観者に徹すれば徹するほど、

周囲の大人たちはその本性を露わにしていきます。

そうした大人たちの構成する社会は

案外脆いものであることに気付かされます。


僕の中で、

世界の見え方が変わる瞬間でした!!


「現代社会の欺瞞を

一枚ずつ剥がしていくところに爽快感がある」


そう感想を述べた方がいらっしゃったそうです。

なるほど的を射た感想だと僕は思いました。


さて、映画の中で疑問が提示されるのは、

フィクションの中だけではありません。


土屋豊監督は、

映画撮影で金魚を透明標本にしたことにも言及されました。


「食べるために殺される魚と

思考のために殺される魚で何が違うのか?」


土屋監督は、そうした疑問を提示するために

『タリウム少女の毒殺日記』を制作したともおっしゃっています。

映画撮影のために金魚を殺したことに後悔はない、とも……


映画撮影で動物が殺されたことに対して、

不快感を抱く方々もやはりいらっしゃるようです。

しかし、そういう方々には、

不快感がどこから来るのかを考えてほしいですね。


「映画撮影で動物を殺すな」と言いつつ、

美味しそうに牛肉や豚肉を食べ、

「害虫だ」といってゴキブリを駆除するなら、

映画を観て生じた不快感は矛盾の産物ですよ(笑)


映画の制作過程自体が、

現代社会への問題提起となっています。


「システム」「人間」「プログラム」「生命」


これら4つのキーワードを軸に

社会に「何故?何故?」と問いかけています。


一方、映画で提示される諸問題に対して、

真摯に向き合おうとしている方々もいらっしゃいます。

映画では、彼らへのインタビューも挿入されます。


透明ガエルやiPS細胞、

美容整形、身体改造、無神論……


時代の最先端を見据える視点や価値観の数々。

ノンフィクションがフィクションの一部を構成することで、

映画の世界を浮遊していた観客の思考が

現実世界の諸々と見事にリンクします。


いや、『タリウム少女の毒殺日記』では、

映画の中と外との境界すら飛び越えてしまいます。

タリウム少女を観察しているつもりだった僕達は、

「あなたも観察しているじゃない」

と画面の向こうの少女に言われてハッとします。


この瞬間、

「観察する-観察される」の関係が逆転します。

映画をフィクションとして楽しむだけの立場から

引きずりおろされた感じがして僕はゾッとしました。

ゾッとした反面、それが快感でもあったわけですが(笑)


土屋監督の巧妙な仕掛けに足を捕らわれた観客は

自分の生きている現代社会が別世界に見えてきます(きっと)


「映画を観て人生が変わりました!」


土屋監督と直接お話しさせていただいたとき、

テンパって僕は妙なことを口走りました(笑)

ただ、「人生が変わった」というのは嘘ではありません。

アップリンクを出て駅まで歩いているとき、

映画を観る前と違った風に渋谷の街が見えたのですから。


『タリウム少女の毒殺日記』は傑作です!

自分のしがみつく常識を疑い

客観的に世界を見つめ直したい方には、

絶対に観てほしい映画です!!



P.S.

土屋豊監督からパンフレットにサインをいただきました↓


墨田区両国のプロ家庭教師みみずく~総武線・大江戸線・新宿線沿線で指導中~-20130817_01


土屋監督、素晴らしい映画をありがとうございました!

ここまで映画にのめり込めたのは、初めての経験です。

これからも土屋監督の作品を追いかけたいと思います。