勉強計画を立てることの無意味さ~計画を立てることの効果は自発性か強制力からしか生まれない~ | 江東区の家庭教師&ライターのみみずく~半蔵門線・大江戸線沿線及びオンラインで指導中~

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保護者様からのご要望に、

「勉強計画を立ててほしい」

というものがあります。


保護者様のお気持ちは分かります。

ただ、生徒によって、

保護者様のご要望に

応えるかどうかは分かれてきます。


勉強計画を立てるか否かは、

次のように場合分けされます。


1.日割りの勉強計画を立てる。

2.次回指導時までの宿題を出す。

3.勉強計画も宿題も無し。


3は、塾と家庭教師とを併用していて、

塾が宿題等を管理している場合です。


この場合は、

僕も塾のスケジュールに沿って指導するので、

宿題等も塾のスケジュールに合わせてもらいます。

僕の方で、特に何かを指示することはありません。


1は、指示通りに宿題をやってくれる生徒です。

こちらも手のかからない生徒ですので、

ほとんど問題は発生しません。


で、ほとんどの生徒は2なんですね。


そして、「勉強計画を立ててほしい」

とおっしゃるのは2の生徒達の保護者様なんです。

日割りの勉強計画を僕に立ててもらい、

それに沿ってお子さんに勉強させたいってことです。


ただ、申し訳ないのですが、

「勉強計画を立ててほしい」

という保護者様のご要望に対して、

僕はほとんど応えることがありません。


端的に言って、無意味だからです。


勉強計画の大切さは、よく耳にします。

僕も、計画を立てることが悪いとは思いません。


ただ、勉強計画に対して、

社会人の立てる仕事のスケジュールと

同等の価値を見出せないというのも本音です。


社会人は、計画的に動くことが求められます。

ただ、それは、

ある程度見通しが立つからこそ、意味を成します。


仕事では、

事前に実現可能な(と思われる)目標を考えます。

その目標から逆算して計画を立てます。

それに沿って仕事することで、

目標を達成することに価値があります。


一方、勉強の場合はどうでしょうか?


目標を立てることは可能です。

ただ、計画通りに勉強を進めたからといって、

その目標が達成されるかといえばそうとも限りません。


そもそも勉強の目標は何ですか?


宿題を片づければOKですか?

違いますよね?


あくまでも、

勉強をできるようにすることが目標ですよね?


でも、多くの生徒は、

計画通りに宿題を片づけたとしても、

勉強をできるようにはなっていません。


仮に計画を立ててその通りに動いたとしても、

目標達成からはほど遠い結果しか生まれません。


それは何故か?


生徒が、ノルマをこなすことしか意識していないからです。


たとえば、

英語のワークを2ページずつ

日割りで解くように指示します。


生徒は、言われた通りにワークをこなします。

でも、次回指導時に、

ワークを基に作成した確認テストを実施してみると、

宿題と同じ問題であるはずなのに生徒は解けません。


彼ら・彼女らは、ワークを解き直していないのです。

当然、知識も定着してないですから、

確認テストで結果を出すことなど不可能です。


その点を僕が責めると、

「計画通りにやりました。頑張りました。

でも、確認テストでは点数を取れません」

と開き直る生徒すらいます。


はっきり言って、話にならないんですよ。


それでは、

計画を立てることに

何の意味もありません!!


「計画通りに頑張った」

と生徒を自己満足させるだけなら、

計画を立てることはむしろ害悪ですらあります。


では、そうした弊害を除くにはどうするか?


・生徒の自発性

・他者からの強制力


これらのどちらかがある場合のみ、

日割りの勉強計画は効果を発揮します。


生徒の自発性というのは、

要は「やる気」のことですね。


その「やる気」は、

単に「勉強を頑張る!」というのではダメです。


「先生の指示通りに課題をこなそう!」

という強い意志のことを僕は「やる気」と定義します。


「やる気」のある生徒は、

僕に「繰り返せ」と指示されれば繰り返しますし、

「●●しろ」と指示されれれば●●をします。


もっとも、家庭教師を依頼してくる生徒に、

「やる気」を期待することはナンセンスです。


一方、他者からの強制力は字の通りです。

生徒が、勉強計画通りに課題をこなしているか、

その日その日のうちにチェックするということです。


では、そのチェックを誰がするのでしょうか?


僕がチェックを行えば良いのですが、

現実問題としてそれは不可能です。


そうであれば、

保護者がチェッカーの役割を果たさねばなりません。


「日々のノルマをこなせているか?」

「その日の課題を完全に理解できているか?」

を毎日チェックすることが大切になってきます。


「毎日、お子さんの宿題をチェックしてください」


僕は、保護者様にそうお願いします。


保護者様が従ってくだされば、

生徒の成績は良くなってきます。


でも、ほとんどの保護者様は、

「忙しい」「できない」等とおっしゃって

生徒の勉強をチェックしようとしません。


当然、生徒は計画を無視します。

計画通りに勉強を進めたとしても、

僕の指示通りに課題をこなしません。


結局、ほとんどの生徒は、

勉強計画を立てたところで無駄に終わります。


だったら、

初めから日割りの勉強計画を立てない方がマシです。


その代わり、

僕の指導では宿題の範囲だけ示して、

次回指導時にその範囲の確認を実施します。


生徒が宿題内容を理解できていなければ、

「結果が出ていない!」と僕は叱責します。


そうした叱責を何度も受けているうちに、

「結果を出すためには計画が必要なのでは?」

と生徒は自分から気付いていきます。


自分から気付けば、それは自発性です。

自発性が生じた生徒には、

僕もキチッと日割りの勉強計画を立ててあげます。


ちょっと長くなりましたが、

計画を立てることの効果は

自発性か強制力からしか生まれないというお話でした。