「本当に不運だな・・・なんで私が?」

 

なんて事は誰もが一度は思ったことがあるでしょう

 

無いデース!という方はもう見なくていいです!

 

ハッピー野郎め、引き続き幸せにな!!

 

 

 

先日、とある先輩と

 

「運ってなんなんだろうね?」

 

なんてことを話し合ったのですが

 

少し有意義な内容であったので

 

これは処女作にちょうど良いぞと思いまして

 

こちらに書き記していこうと思いまする

 

拙い部分もある文章遊びですが

 

どうか温かい目で見守っていただけたら

 

幸いの魔王、すごい全く恐縮してない字面だ

 

 

 

運 - 運(うん)とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す

 

 


さて言葉の意味は、定められたものは、このようです

 

ランダムで、触れられず、変更出来ないもの

 

これが「運」です、いいですね

 

「それはそうでしょう、当然でしょう」

 

って思いますよね、わかる

 

 

~終~

 

 

 

 

ってサイコに終わるのも好みですが

 

もうちょっとだけ続くんじゃ

 

 

 

例えば

 

  • コインを落として裏と表どちらになるか

 

これは「運」と言っていいものだと思います

 

「高さと速度は」「風は」「地面の角度は」

 

とか言う人はモテませんからね

 

 

ではでは、そのたとえ話を辿るように深く見て

 

  • そのコインを落とすか落とさないか
  • その瞬間に居合わせるか居合わせないか
  • そのコインを手に入れるか、入れないか
  • コインが得られる場所に行くか行かないか

 

この部分、どうでしょうか、運ですか?

 

これは「自由な選択」ですね

 

 

 

 

そんな区別があるんだよ、という前提で

 

ここから少しお話のテンションを

 

上げて(?)いきます~~~~!!

 

 

 

何が言いたいかと言うと、上記に書いた区別

 

これは間違っていないものとして

 

 

 

明確に違う(不変、変更可能)二つの事柄

 

相反する二つを一つに「運」としてまとめて

 

眼を背けたい事柄に対して蓋として使用する

 

あるいは蓋以外の他の何かに変えて見ている

 

 

 

世の中にはそんな風に生きている人が

 

多くいらっしゃるな~っていう!

 

それがやりようによっては

 

生きづらくな~~~い!?

 

っていうお話でございます

 

運気の上がるツボ売りましょう

 

とかいう話じゃないですからね

 

 

 

もしかしたらちょっとだけ

 

ドキっとした方もいらっしゃるでしょうか

 

デリケートな話題に触れていこうなんて

 

そんな気持ちはさらさらありません

 

正論、事実を叩きつけて愉快痛快!

 

そんなお話では決してありませんので

 

誤解無きようにお願いしますね

 

「じゃああれは運じゃないって言うのかよォ!」

 

というカイジさんと運かそうでないかを

 

ざわざわしながら決めつけたりして

 

ぐにゃ~ってさせる話ではありません

 

あくまで言葉遊びであり、自論であり、脳内メモです

 

 

 

「●●って会社にいたころは、やり方も気に入らなかったし

人も最悪、仕事もきつい、マジで運が悪かったな~」

 

この物語の中に、時間の長さと場面に潜んだ

 

自由な選択は、一体いくつ想定できるでしょうか

 

 

その言葉を吐き出しているその瞬間にたどり着くまで

 

無数にあったであろう選択は、させられたのでしょうか

 

 

本来の意味での「運」と同等の不変が

 

何度もその人に叩きつけられたのでしょうか

 

 

もちろん感情を思いやればそのように

 

言うほど辛く苦しい現実だったのでしょう

 

個人の世界、それ自体は誰にも止められません

 

「仕方なかったんだよ」なんて言うことも

 

当然自由です、悪や正義の話ではないので

 

人間は皆、個人個人が、その数と同じだけ多様に

 

健やかに人生を良きように選択し生きられます

 

ただし、本来の意味ではない、蓋として使用する事を選んだ

 

「運」と名付けた似て非なる蓋は、使ってしまうと

 

それを使わないと生きる事が出来ないかのように

 

それ自体が逆に、人生を強制させるようなものになる

 

本来の己自身への、正しく蓋になってしまう、のではと

 

それは、その瞬間の彼を助けてくれる手段だったかもしれません

 

けど本当に、その先にあるのはより良い人生なのでしょうか

 

 

 

流れに沿って感情に寄り添った例え話をもう一つ

 

知り合って間もない友人との遊びを控えた二人
 

 

  • 毎度相手を慮って「今日は遊んでくれてありがとう」
    欠かさず言い、待ち合わせ時間には少し早く
    相手の事を気遣って行ってあげるようにする
    いつかそれが「いつも本当にありがとう
    あなたの気持ちが嬉しいよ、大切な友人だ」
    なんて温かいお礼の言葉と関係性でもって
    同じ思いやりや幸福が返ってくる
     
  • 自分が楽しいか楽しくないかだけの利己的であり
    遊べる日はよし、遊べない日に不満を言っていた
    いつも待ち合わせには自分の怠惰から少し遅れる
    すると相手は同じようにあなたを扱って
    お礼も、思いやりも、幸福も与えたいとは思われず
    それどころか関係自体が摩耗し終わってしまう

 

 

二人は言います

 

「私は人に恵まれた運が良い人間だ」

「私は人に恵まれない運が悪い人間だ」


どちらも区別は出来ていないかもしれません

 

が、言い換えて見るとするなら「蓋」「鏡」でしょうか

 

同じようなカタチのそれの使い方が違っただけです

 

最初のほうに、区別が出来ていない人が多く居る

 

と私は言っていましたがそれは何も負の意味に

 

限ってはいませんし、偏ってもいません

 

「運」その「捉え方」とは、です

 

 

 

運は引き寄せられる、必然である

 

なんて言葉は有名だと思うのですが

 

こんなふうに、運と、運以外の区別をつけられて

 

あるいはつけずとも良き捉え方をしたことにより

 

生きやすくなった人が残しているんだろうなあと

 

先輩とお言葉で遊んだ末に、言語化してみました

 

 

ここまで読んだ、あなたは、どうでしょうか

 

「あなたの中の運」をどう「捉えて」いますか

 

「幸い」にもこの文章に何かを感じて頂けたなら

 

ふと、少し考えてみるとなにか良いことが

 

あったりなかったりするかもしれませんね

 

というお話でした、はあ楽しかった

 

 

 

 

人間どもよ、明日も運を良きに計らえ、さらば