※これは、

 

「霊訓 SPIRIT TEACHINGS」(W.S.モーゼス著 浅野和三郎訳)

 

 

 

を、AIを使って現代語訳したものです。

 

 

※AIより、追記です。
第三章は内容が濃く、古い文体のままだと非常に読みにくいので、意味を変えずに、現代語として自然に読める形へ全面的に書き換えた“現代語訳”を作った。
原文の論旨・構造はそのまま保っている。」

 

 

 

第三章 幽界と現世の交流

 

 

■問「前回の通信を書いたとき、ひどい疲労と頭の奥の激痛を感じた。原因は何か?」

●霊的作用が強すぎたため

あなたが頭痛を覚えたのは、私たちがあまりに強い力を、しかも急激に使ってしまったためだ。
重大な問題を扱うとき、私たちもどうしても興奮しがちになる。
神の法に従う必要性を地上の人々に強く伝えようとするあまり、霊媒であるあなたの身体への配慮を欠いてしまい、結果として苦痛を与えてしまった。
今後は心の平静を保つよう、より注意するつもりである。

 

●戦争の恐ろしさ

それにしても、戦争ほど恐ろしい災いはない。
戦争は欲望、野心、復讐心から生まれる。そして結果はどうなるか。

  • 神の美しい創造物は踏みにじられ
  • 人々が努力して築いた平和は一瞬で崩れ
  • 家族の絆は断たれ
  • 無数の家庭が不幸のどん底に落ち
  • 大地には死体の山が築かれる

さらに、寿命を全うせずに肉体から引き離された無数の魂が、何の準備も教育もないまま、濁流のように霊界へ流れ込む。
その混乱と腐敗は言葉にできないほどで、あらゆる災いの種となる。

地上の人類がこの仕組みを理解しない限り、文化の発展は遅れ続けるだろう。

 

●現代の法律や政策の問題点

現代の社会政策や国家政策には、廃止すべきもの、改めるべきものが非常に多い。

たとえば治安維持のための法律は、違反者への罰ばかりに偏っている。
法律は罰するだけでなく、救い導く役割も必要だ。

特に霊媒に対する罰則は不合理の極みである。
霊媒には良い者も悪い者もいる。
良い霊媒は保護し、悪い霊媒は適切に導いて正しい道へ戻すべきだ。

それなのに、すべての霊媒を精神異常者扱いして罰しようとするのは、愚かであり、冒涜ですらある。

私たちから見れば、堕落した酔っ払いのほうが、よほど精神的に危険である。
彼らが出入りする不潔な場所こそ“魔窟”であり、そこには最悪の低級霊が集まり、酔った人間に憑いて堕落行為をさせる。
これこそ文明の汚点であるのに、法律は酔っ払いに対しては何もしない。

 

■問「酔っ払いに霊が憑くとはどういう意味か?」

●悪霊の憑依の仕組み

地縛霊は、生前の欲望や癖をそのまま持っている。
欲望は消えていないが、それを満たす肉体がないため、強い苦しみを感じている。

満たされない渇望ほどつらいものはない。
そこで彼らは、かつての習慣の場所に出入りし、自分に合う“犠牲者”を探し、その体に入り込んで欲望を満たそうとする。

外から見れば人間の乱行だが、内側では悪霊が跳ね回っているのだ。

憑かれた人間は堕落の道を転げ落ち、家族は悲しみに沈む。
守護霊でさえ、境界が違いすぎて手を出せず、ただ遠くから見守るしかない。

この種の悪徳を根絶するには長い年月が必要だ。
悪は悪を生み、罪は罪を呼ぶからだ。

悪徳をなくすには、

  • 社会全体の道徳的・物質的発展
  • 高い知識の普及
  • 本当の意味での教育の進歩

これらしかない。
非合理的な法律を守り続ける限り、改善は望めない。

 

■問「無邪気な子どもは、死後すぐに高い世界へ行けるのか?」

●地上生活の価値

いいえ。地上生活の経験は非常に貴重で、無視することはできない。

子どもは罪が少ないため、浄化の段階(いわゆる“煉獄”)を早く通過するのは事実だが、知識と経験の不足は、死後の教育で補う必要がある。

霊界には子どもを教育する専門の霊がいて、必要な学びを与える。

地上生活を早く終えることは、本人にとって決して良いことではない。
強いて言えば、地上で悪事を働かずに済むという程度の消極的な利点しかない。

 

●理想的な魂の生き方

魂にとって理想的な生き方とは、

  • 常に自分の使命を意識し
  • 自己の向上と他者の幸福のために働き
  • 神を敬い
  • 守護霊の導きに忠実であること

こうした魂は汚れが少なく、進歩が早い。

虚栄、利己主義、怠惰、放縦、わがまま――
これらはすべて魂の成長の大敵である。

魂の最大の味方は「愛」と「知識」である。

子どもは生まれつき“愛”を持っていることがあるが、“知識”は教育によって補わなければならない。

早く亡くなった子どもは、知識の面では損をし、純粋さの面では得をしていると言える。

しかし、人生の苦難を乗り越え、勝利した魂のほうが、はるかに尊い。
試練によって浄化された魂は、死後に特別な境地を与えられる。

苦労なしに真の成長はない。

だから多くの魂は、自ら望んで地上に生まれ、霊媒を選んでその人生を導き、特別な経験を得ようとする。

  • 愛を学ぶ者
  • 苦難を学ぶ者
  • 知識を求める者
  • 自制を鍛える者

目的はそれぞれ違うが、皆、成長のために地上へ来る。

 

●魂の欲求はただ一つ

魂が求めるものはただ一つ。

  • より高い成長
  • より深い知識
  • より大きな愛

それだけだ。

こうして地上生活の残滓は洗い流され、魂は無限の高みへと進んでいく。

 

 

※これは、

 

「霊訓 SPIRIT TEACHINGS」(W.S.モーゼス著 浅野和三郎訳)

 

 

 

を、AIを使って現代語訳したものです。

 

 

※この第二章は、AIによると、「濃くて長い」ので、「わかりやすくまとめた」そうです。

 

 

 

第二章 健全な生活

 

 

■問「どんな人が最も理想に近いのか?」

 

●真の“仁者”と“哲人”

真の仁者とは、常に他人の幸福や成長のために尽くそうとする、本物の人格者であり、神の子ともいえる存在である。
人種・国籍・宗教・名前などの違いにこだわらず、広い心で全人類を包み込むような愛を持つ。
相手の意見に振り回されることなく、その欠点を見抜き、そこに光を与えることを生涯の願いとする。

しかし世の中には“偽物の仁者”もいる。
自分に媚びる者だけを可愛がり、金品を与えて名声を得ようとするような人たちである。

真の哲人とは、知識そのものを愛し、どんな学説にも縛られず、どんな宗教の教義にも固執しない。
真理であり、科学的事実であるなら、偏見を捨てて、たとえ万人が反対しても探求を続ける。
宇宙には無限の宝があるため、探求の材料が尽きることはない。
知恵の泉は汲んでも尽きず、思想の宝は採っても尽きない。
哲人の人生は、この上なく幸福である。

 

●二つが合わさった人こそ“完全な人”

仁者と哲人の両方の性質を備えた人こそ、完全な人格の典型である。
どちらか一方だけの人より、はるかに早く成長する。

 

 

■問「生命は永遠なのか?」

 

●永遠の生命と二つの段階

生命は永遠であると信じる理由は多い。
ただし生命には二つの段階がある。

  • 向上(成長)
  • 黙想(静かな悟りの境地)

私たちはまだ“向上の途中”にいる。
人間が想像する以上に深く、果てしない階段を登っている最中であり、“黙想の境地”についてはまだ何も知らない。

おそらく、限りない未来のどこかで、すべての過去を離れ、神の光の中で静かに黙想する段階に入るのだろう。
しかしそれはあまりにも高い境地で、今語ることはできない。

地上の人間が関心を持つべきなのは、永遠の生命の入口――つまり「死と死後の世界」であり、その奥の領域ではない。

 

 

■問「あなたは地上にいた時より、神について多くを知ったのか?」

 

●神は“働き”によってのみ理解できる

私たちは地上にいた頃より、はるかに多く神の働きを知るようになった。
死後の世界で階段を登るにつれ、神の愛と知恵が無限であることが分かってきた。

しかし、神そのものについての理解はそこまでである。
黙想の境地に入るまでは、この状態が続くだろう。

神は“働き”によってのみ知ることができる。

 

 

■問「善と悪の戦いについて教えてほしい」

 

●非業の死と罪の広がり

地上では周期的に争いが起こるが、霊的な視点で見れば、それは善霊と悪霊の戦いである。

世の中が乱れるのは、未熟な霊魂が異常に増えた時である。
特に大戦争の後、人心が荒れるのは、多くの霊が“本来の寿命を全うせずに”肉体から引き離され、怒りと憎しみを抱えたまま霊界に入るからだ。

彼らは悪鬼のような状態で、地上に悪影響を及ぼし続ける。

●寿命を奪うことの危険

本来、寿命を全うすることは自然の法則である。
霊魂を無理に肉体から引き離すことは極めて危険だ。

だから死刑は愚かで野蛮である。
死後の成長を無視し、怒りに満ちた未熟な霊を解き放つだけだからだ。

犯罪者を扱う方法を、人間はまだ理解していない。
現在の刑務所は、悪人と悪霊の巣窟であり、そこに人を閉じ込めて改善を期待するのは無理である。

犯罪者の多くは“無知”から罪を犯しただけで、本質的な悪人ではない。
しかし獄舎の環境に染まれば、本物の悪人になってしまう。
そして極刑に処すれば、怒りの霊となって地上に害を及ぼす。

 

●戦争はさらに恐ろしい

戦争は、大量の霊魂を怒りのまま霊界に送り込む。
そこにはすでに堕落した霊が群がっており、彼らと結びついて地上に悪影響を与える。
こうして世界は罪と汚れの地獄と化す。

しかも戦争の動機は、多くの場合、権力者の一時的な野心にすぎない。

 

 

■結び

地上の人類は、まだ学ぶべきことが多い。
まず“本当の神”と、その神のために働く霊界の指導者を知らなければならない。
真の進歩はそこから始まる。

無知な人々は霊界の教えを嘲笑するかもしれないが、進歩を求める人には必ず役に立つ。
盲目の人々の心の目が、いつか開かれるよう祈りたい。

 

 

※これは、

 

「霊訓 SPIRIT TEACHINGS」(W.S.モーゼス著 浅野和三郎訳)

 

 

 

を、AIを使って現代語訳したものです。

 

 

 

 

 

 

第一章 幽界と現世の交流、その目的

 

■問「現代はどんな時代なのか?」


今は“新しい時代の夜明け”にあたる。
真理を広めようとする努力が強まり、神の使いたちも働いている。しかし同時に、昔と同じく、それに反抗する“闇の勢力”も存在する。

世界の歴史とは、結局、善と悪の戦いの物語だ。
光と闇の戦いは、精神面でも肉体面でも、あらゆる領域で続いている。時代によってその激しさは変わるが、今は特に激しい時期である。

神の使いたちが力を集めて働いているため、人間社会にも影響が及び、心霊的な知識が広まりつつある。
しかし、道を誤る者、心の弱い者、信念のない者、単なる好奇心だけで動く者は危険である。
真理を求める者だけが、揺るがない大岩の上に立つことができる。

 

■問「どうすれば真理をつかめるのか?」


まず“心の準備”が必要だ。
真剣に求める者で、最後に真理に到達できない者はいない。ただし、多くの年月が必要になることもある。場合によっては、生きている間に目的を達成できないこともある。

神はすべてを試し、資格のある者にだけ知恵を授ける。
進歩の前には必ず準備が必要であり、これは変わらない法則だ。
だからこそ、忍耐が大切になる。

 

■問「迷いや疑い、証明の難しさ、偏見などにどう対処すべきか? 本当に乗り越えられるのか?」


最終的には必ず勝利する。
人間の力には限りがあるが、神の力は無限だ。
“障害”など本当は存在しない。

私たちが過去に経験した苦難に比べれば、現代の困難など問題にならない。
ローマ帝国末期のように、精神性も霊性も失われ、酒と欲望と悪徳が支配していた時代に比べれば、今の堕落など取るに足らない。

その時代、人々は絶望の闇の中に沈み、天使たちでさえ目を覆って遠ざかったほどだった。
それでも神は最後に人類を救った。

それに比べれば、現代の闇はまだ薄い。
神と天使の光が強まるにつれ、世界の闇はさらに薄れていくだろう。

 

 

■問「人類の無知や頑迷さのために、啓蒙の試みは何度も失敗してきた。今回も同じ轍を踏まないか?」


“真人(まことの人)”はすでに現れつつある。
神の恵みはあなたが思う以上に大きい。

世界のあちこちに“真理の中心”が生まれ、求める者には慰めを、探求する者には手がかりを与えている。

古い教典だけで満足し、さらに進もうとしない人も多いが、私たちはそれを気にしない。
より深い知識を求める人も確実に存在し、私たちは神の命により彼らを導く。

真理は人から人へと伝わり、やがて高い山の頂から世界に向けて宣言される時代が来る。
その時、隠れていた“神の子ら”が立ち上がり、自らの体験を堂々と語るだろう。

小さな流れが集まって大河になるように、真理は世界を洗い流し、愚かさも不信も罪も偽りも、すべて消え去るだろう。

 

■問「近代の啓示と古代の啓示は同じものか?」


啓示はすべて同じ根から出ている。
時代によって現れ方が違っても、矛盾することはない。
目的は常に“真理を明らかにすること”だからだ。

ただし、人間の理解力や求めるものが時代によって違うため、真理の表現形式は変わる。
矛盾があるように見えるのは、神の言葉ではなく、人間の側に原因がある。

神の言葉は本来シンプルだが、人間が注釈や推論を加えて複雑にし、年月とともに本来の姿を失ってしまった。

だから新しい啓示が現れるときは、まず古い迷信を取り除く必要がある。
破壊の後でなければ、新しい真理を建てることはできない。

真理そのものに矛盾はない。
矛盾しているのは、人間が付け加えた“余計なもの”だ。

人は自分の理性の光で判断しなければならない。
向上心のある魂は、必ず真理をつかむ。

神は誰にも強制しない。
だから黎明期には、特定の人に特別な啓示が与えられる。
昔も今も同じだ。

モーゼやイエス、パウロなど、どの時代の改革者も大衆に歓迎されたわけではない。
神は与えるが、強制はしない。
無知な者は拒む。それでよい。
そこから“真の人”と“偽りの人”が分かれる。

あなたは現代だけを見ず、未来を見据えて進まなければならない。

 

■問「霊界の指導者はどう選ばれるのか?」


指導霊と人間には、通常深い因縁がある。
ただし例外もある。

・人間を導くのが得意な霊が選ばれる
・特別な使命を果たすため派遣される
・人間の欠点を補うためにつく
・理想的な人格を育てるため、自ら志願して降りてくる
・自分の修行のため、あえて難しい人間を担当する
・愛情や縁によってつく場合もある

特別な使命がない限り、人間が成長するにつれて指導霊が交代することも多い。

 

■問「地上に来る霊はどの階級か?」


多くは“下級霊”である。
地上に近い三つの境涯の霊たちは、人間と交流しやすい。

高級霊が地上と交流できる霊媒は非常に少ない。
高級霊は交流を望んでも、適切な霊媒が見つからず躊躇することが多い。

そのため霊界通信には“玉石混交”が起こる。

事実と合わない通信があっても、必ずしも悪意ではなく、単に力量不足によるものだ。

 

■問「“魔群”とは何か?」


神と人間の敵となる“悪霊の集団”である。
彼らは狡猾な悪霊を首領とし、あらゆる手段で私たちの働きを妨害する。

彼らは巧妙で、私たちの活動を真似し、人を惑わせる。
その影響力は非常に強い。

 

■問「そんな強力な魔群がいるとは驚きだ。悪の存在を否定する人もいるが?」


悪霊の存在は事実である。
魂は地上での性質をそのまま持って死後の世界に入る。

品性が低く、悪習慣を持つ者は、死後も同じ状態を続ける。
逆に高潔で向上心のある者は、死後も悪に染まらない。

魂の性質は一朝一夕で変わらない。
特に“習慣の力”は恐ろしい。
悪習慣に染まった魂は、その誘惑から抜け出せず、同じような霊たちと群れる。

だから魔群とは、未発達の霊の集団にすぎない。
彼らが向上するには、悔い改めと高級霊の導き、そして絶え間ない努力しかない。

悪の存在を否定する思想こそ、悪霊の甘い誘惑である。

 

■問「魔群にも指導者がいるのか?」


魔群の頭は複数いるが、神学で言うような“絶対的な大魔王”はいない。
すべての魂は、善霊であれ悪霊であれ、神の支配のもとにある。

 

■評釈(解説)

この章は全体として平明で穏当だが、初学者のためにいくつか補足する。

・“真人の出現”について
数十年前の予言が現代に現れつつある。世界的な心霊運動は止められない。日本でもその傾向が強まっている。

・“指導霊の性質”について
霊と人間には波長の一致が必要である。人格の低い者に高級霊がつくことはない。

・“悪霊の存在”について
悪とは“不完全・未発達”のことであり、純粋な悪霊は存在しない。
どんな霊も最終的には浄化される。
霊界は現界と同じく玉石混交であり、油断は禁物である。