身内殺しに血の粛清…金正恩氏、恐怖政治の6年間
北朝鮮は10日、支配政党である朝鮮労働党創建72周年を迎える。7年前の同日に行われた朝鮮労働党創建65周年記念の軍事パレードで、金正恩党委員長の動く姿が初めて確認された。
既に父・金正日総書記の後継者として内定し、北朝鮮国営メディアもその名前を報じていたが、金正恩氏にとって2010年10月10日が表舞台での正式デビューだったといえる。
そして、翌2011年12月には金正日総書記が死去、金正恩時代が始まったわけだが、この6年間は「身内殺しと血の粛清の6年間」だったと言っても過言ではない。
ミンチにして処刑
この粛清劇については叔父である張成沢(チャン・ソンテク)氏が主導したとの説もあるが、最終的に金正恩氏が決断したのは間違いないだろう。
金正恩氏が主導する粛清政治が本格化するのは、2013年からだ。先述の李氏の粛清を主導したとされている張氏が、北朝鮮メディアで「犬にも劣る人間のゴミ」と罵倒されたうえ、時をおかず処刑された。張氏処刑以後、金正恩氏は北朝鮮史上希にみる恐怖政治をはじめた。暴君へと変化するターニングポイントがこの時だったと言えるだろう。
(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認)
同年5月には、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長が公開銃殺された。
(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…)
極めつけは、今年2月に金正恩氏の母親違いの兄である金正男氏が猛毒のVXによって暗殺された事件だ。
(参考記事:自分の兄まで「公開処刑」…正恩氏が「その瞬間」を見たかった理由)
残忍きわまりない金正恩氏の恐怖政治も2017年に入ってなりを潜めているという説もある。
今のところ金正恩氏は核・ミサイル開発など、対外的な政治に重きを置いている。これがある程度落ち着いた時、必ずや国内統治に関心が向く。その時、またもや金正恩氏の恐怖政治の嵐が吹き荒れるかもしれない。