田中俊之氏は、「男性学」について次のように述べています。
https://jinjibu.jp/smp/article/index.php?act=detl&id=1061

(引用開始)
日本では1970年代に男女の不平等に対する異議申し立てとしてウーマン・リブ運動が起こり、その流れからまずwomen’s studiesという学問が「女性学」と訳されて紹介されました。これは要するに、“女性が女性であるがゆえに抱える問題”を扱う学問です。仕事との関連 でいえば、なぜ女性は家事や育児の責任を全部押し付けられて、外で働きたくても働き続けることができないのか、という不平等がその典型ですね。

では逆に、男性はなぜ働きたくなくても働き続けないといけないのでしょう? そういう問題意識も当然出てきます。実際、60歳以上まで働き続けるの は大変なことです。しかし、男性は家庭を持つと、なぜか一家の大黒柱と言われて、家計の責任がすべて集中する。子どもの教育費も、家のローンも自分一人に かかっているかと思うと、いくら仕事がつらくても、辞めるという選択はありえません。そうして働き過ぎてしまうんです。なぜそうなのか。もっといえば、仕 事に限らず、なぜ男性は強くなければならないのか。弱音を吐いてはいけないのか。こうした「男性が男性であるがゆえに抱える問題」を扱うのがMen’s studies、「男性学」です。女性学に影響されて、 90年代に生まれました。
(引用終了)

70年代の女性学は共働きの推奨も含まれているように見られますが、共働きと保育園児が急増したこの時期から行われたソフトパワー戦略が、母子離散のソフトパワー戦略の孤児といびりの鬱アニメ「世界名作劇場」と見られます。

男性学が生まれた90年代とは団塊ジュニア世代が成人し、その団塊ジュニア世代の多くが大都市近郊のベッドタウンの核家族家庭に生まれ育ち、農林水産業や個人商店など自営業に就業する発想すら捨て去られ、90年代末期にはニートや引き籠りと言う言葉が出始めた時期でもありますね。

なおコンビニや大型商業施設によって個人商店が次々淘汰された時期もこの90年代頃(私はようやく物心がついた頃でしたが)からと見られます。

「なぜ男性は強くなければならないのか」について、さらに追い打ちを掛けているものは徴兵制を見据え第一次安倍内閣の時期から流布された草食男子と言う揶揄と見られます。

さらに近年では男女問わず体育会系(団体球技の運動部出身)でないと内定が貰えないなど、それ以前の教育現場(それも義務教育)にいる段階でドロップアウトしたら取り返しがつかない状況とされる訳ですが、やはり不本意にもそれに陥った当事者は「一体何処の誰がこのような構造にしているのか」を一度は考えるはずかと存じます。