『点』 宇多田ヒカル著
- 点―ten―/宇多田ヒカル
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- ※画像のために付けてます。
読書感想ではなく、ひとりごとです。
中身としては、読書感想になるとは思うけど、別方向に向いていきそうなので、
幅を持たせるため「ひとりごと」にカテゴライズしときました。
宇多田ヒカルの今までのインタビュー記事がまとめられたもの+写真という構成。
生い立ちなんかについても冒頭で語っているので、ファンは見とくべしって感じかな。
私は宇多田ヒカルが好きなんですが、唯一CDを買うんですよ。
他は、動画かitunesで充分間に合ってしまうから。それだけ彼女は特別なんです。
で、どうして特別なんだろうかと考えてみました。
やはり、歌詞の深さ、歌詞の魅力を堪能したいからかな、と思います。
たぶん、他の人も同じ理由なんじゃないかな。
動画で某女性歌手を見て、歌声に惚れちゃってCDを買ってみたことがあったんです。
けどね、なんというか。「深くない」という言葉に尽きるね。
バカにしているわけではないですよ。
言葉を咀嚼する楽しみがないのよ。そのまんまなの。そして、新鮮さが何もない。
何かひとつの思いを伝える際、宇多田ヒカルの場合はたくさんの言葉の中から選び、
直接的・間接的な表現を織り交ぜる、と思うんです。そこには教養があって、それを
バックボーンに詩を書くので、さらに世界が広がる、と思うんです。
けどね、そのほかの場合は、直接的・個人的な言葉しかない。世界が狭くて息苦しく
なっちゃう。その人の日記みたいな世界観。
個人の妄想というか、楽しめないのよね。共感はできるのかもしれないけど、それ以上
ではないの。
で、話を『点』に戻します。
記事の中には、とある曲の話で「西洋哲学だと~、東洋哲学だと~で、この曲はその
どちらでもある」と宇多田ヒカルが語っていてね。
思ったのです。
最近の歌手(←作詞している)のなかに哲学の素養がある人、それを歌詞に活かそうと
する人なんているのだろうか、と。
数え切れない人々が携わり、数え切れない歳月をかけて作り上げられたものを使うこと。
ある意味、反則かもしれないね。
それだけ広い広い世界を詩に織り込んじゃうんだから、宇多田ヒカルは怖いよ。
そして、惹かれてしまうわけだ。