ひとりごと:『点』(宇多田ヒカル著)をちょっと読んだよ | 夜のブログ

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四半世紀生きたOとLの融合体に"夜"による読書感想・書評がメイン。しかしながら、その成分の7割はゲームが占めているという噂。

『点』 宇多田ヒカル著





点―ten―/宇多田ヒカル
 
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※画像のために付けてます。







読書感想ではなく、ひとりごとです。



中身としては、読書感想になるとは思うけど、別方向に向いていきそうなので、



幅を持たせるため「ひとりごと」にカテゴライズしときました。



宇多田ヒカルの今までのインタビュー記事がまとめられたもの+写真という構成。



生い立ちなんかについても冒頭で語っているので、ファンは見とくべしって感じかな。









私は宇多田ヒカルが好きなんですが、唯一CDを買うんですよ。



他は、動画かitunesで充分間に合ってしまうから。それだけ彼女は特別なんです。



で、どうして特別なんだろうかと考えてみました。



やはり、歌詞の深さ、歌詞の魅力を堪能したいからかな、と思います。



たぶん、他の人も同じ理由なんじゃないかな。





動画で某女性歌手を見て、歌声に惚れちゃってCDを買ってみたことがあったんです。



けどね、なんというか。「深くない」という言葉に尽きるね。



バカにしているわけではないですよ。



言葉を咀嚼する楽しみがないのよ。そのまんまなの。そして、新鮮さが何もない。



何かひとつの思いを伝える際、宇多田ヒカルの場合はたくさんの言葉の中から選び、



直接的・間接的な表現を織り交ぜる、と思うんです。そこには教養があって、それを



バックボーンに詩を書くので、さらに世界が広がる、と思うんです。



けどね、そのほかの場合は、直接的・個人的な言葉しかない。世界が狭くて息苦しく



なっちゃう。その人の日記みたいな世界観。



個人の妄想というか、楽しめないのよね。共感はできるのかもしれないけど、それ以上



ではないの。







で、話を『点』に戻します。



記事の中には、とある曲の話で「西洋哲学だと~、東洋哲学だと~で、この曲はその



どちらでもある」と宇多田ヒカルが語っていてね。



思ったのです。



最近の歌手(←作詞している)のなかに哲学の素養がある人、それを歌詞に活かそうと



する人なんているのだろうか、と。



数え切れない人々が携わり、数え切れない歳月をかけて作り上げられたものを使うこと。



ある意味、反則かもしれないね。



それだけ広い広い世界を詩に織り込んじゃうんだから、宇多田ヒカルは怖いよ。



そして、惹かれてしまうわけだ。




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