常陸第三宮・吉田神社
社格・旧県社
鎮座地・茨城県水戸市宮内町3193-2
御祭神・日本武尊(やまとたけるのみこと)
同神社は日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建であるといわれていますが、創建の年紀は定かではありません。
同神社の古文書によると、正安4年(1301年)は、御創建以来800余年に当たると記されていることから、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代の間に遡ると云われているそうです。
上の画像は史跡(朝日山/三角山)で、東国遠征の際に日本武尊が兵を休ませたとされる場所です。
その後、後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造し、12月遷宮式を行ったそうです。これより後は鹿島神宮の遷宮につい同神社の遷宮が行われるのを慣例としたそうです。
次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り同神社の扁額とされたと記されています。それ以来常陸第三宮と称され現在に至っています。
社頭から石段を登り、三角山を通り神門まで進むと右手に天満宮が祭られています。そして神門を抜けるとすぐ正面に拝殿が現れます。
到着時には社殿でご祈祷が執り行われいて、拝殿前にはご祈祷を見守る方々が大勢集まっていました。
ご祈祷を受けていたのは、地元のちびっ子武道家達のようで、見守っていたのは保護者の方達だったようです。
御本殿は神明造り、拝殿は入母屋造銅板葺で、双方とも戦後に造営されたそうです。
神楽殿・拝殿に並ぶように建っています。中では巫女さんがお神酒の用意をして待ち構えていますが・・・σ(^_^;)
境内社は神楽殿横から本殿を取り囲むように祀られ静まっています。
上の画像の六社には、松尾神社・多賀神社・住吉神社・八幡神社・大国主事代主神社 ・疱瘡神社が祀られています。下の画像は水戸神社と飯神社が。
こちらの二社は早歳神社と国見神社が祀られています。
また、別宮として、水戸市笠原町に笠原子安神社・水戸市酒門町に酒門神社が建てられおります。
御朱印
賑やかな参拝になった、水戸吉田神社でした。m(u_u)m

社格・旧県社
鎮座地・茨城県水戸市宮内町3193-2
御祭神・日本武尊(やまとたけるのみこと)
同神社は日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建であるといわれていますが、創建の年紀は定かではありません。
同神社の古文書によると、正安4年(1301年)は、御創建以来800余年に当たると記されていることから、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代の間に遡ると云われているそうです。
上の画像は史跡(朝日山/三角山)で、東国遠征の際に日本武尊が兵を休ませたとされる場所です。
その後、後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造し、12月遷宮式を行ったそうです。これより後は鹿島神宮の遷宮につい同神社の遷宮が行われるのを慣例としたそうです。
次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り同神社の扁額とされたと記されています。それ以来常陸第三宮と称され現在に至っています。
社頭から石段を登り、三角山を通り神門まで進むと右手に天満宮が祭られています。そして神門を抜けるとすぐ正面に拝殿が現れます。
到着時には社殿でご祈祷が執り行われいて、拝殿前にはご祈祷を見守る方々が大勢集まっていました。
ご祈祷を受けていたのは、地元のちびっ子武道家達のようで、見守っていたのは保護者の方達だったようです。
御本殿は神明造り、拝殿は入母屋造銅板葺で、双方とも戦後に造営されたそうです。
神楽殿・拝殿に並ぶように建っています。中では巫女さんがお神酒の用意をして待ち構えていますが・・・σ(^_^;)
境内社は神楽殿横から本殿を取り囲むように祀られ静まっています。
上の画像の六社には、松尾神社・多賀神社・住吉神社・八幡神社・大国主事代主神社 ・疱瘡神社が祀られています。下の画像は水戸神社と飯神社が。
こちらの二社は早歳神社と国見神社が祀られています。
また、別宮として、水戸市笠原町に笠原子安神社・水戸市酒門町に酒門神社が建てられおります。
御朱印
賑やかな参拝になった、水戸吉田神社でした。m(u_u)m












