真言宗智山派別格本山
高幡山金剛寺(通称・高幡不動尊)

同山は真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三大不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。その他由緒は前ブログを参照して下さい。

仁王門

仁王門は当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更され上層の主要部を覆うような形で屋根がかけられ近年まで外観は単層でした。昭和34年解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました。仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆

高幡不動


不動堂

康永元年(1342年)山中より移建。 不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立しましたが、建武2年(1335年)8月4日」夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建した堂で東京都最古の文化財建造物です。

高幡不動



弁財堂

弁天池の島に建つ朱塗りの小堂で、福徳弁財天を祀っています。

高幡不動



奥殿

千年ぶりの修復を終えた丈六不動三尊像を中心にたくさんの文化財を収蔵・展示する為の御堂で1階が展示室、2階が収蔵庫になっています。(月曜日休館)収蔵庫には土方歳三の直筆の書など土方ファンには堪らないところかと思います。




上杉憲顕の墳

上杉憲顕は氏憲の子、享徳4年正月(1455年)足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃した。自然石はその墓標で、俗間信仰に茶湯石(服石)と言い、百か日忌払い供養の伝承がある。(鎌倉大草紙)




五重塔



満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、塔高39.8m、総高45m、和様、三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式を模した美しい塔です。





大師堂

安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。





聖天堂

こちらも安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。





山門




大日堂

大日堂は高幡山の総本堂です。 江戸時代安永八年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが昭和五十七年から五年の歳月をかけて根本改修工事が行われました。 新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています。又大玄関は桃山時代様式です。有名な鳴り龍天井や優れた彫刻群、幽玄な内陣荘厳等の鑑賞ができます。





大観音像・山門前




高幡不動尊・初めての来訪でしたが、寺が苦手の嫁さんも、ここでは進んで散策するほど明るい境内でした。・・・ただ、参拝者が多く写真撮影には往生致しました。





あ、それと紅葉ですが、この日は多少早かったような気がしました。恐らく今週末あたりは見頃になっているのかも知れませんね。






御朱印




オリジナル御朱印帳



寺院用の御朱印帳はまだ一冊終わっていませんが、絵柄が気に入って購入してしまいました。・・・心配はいりません、神社が好きですから。( ´艸`)





以上、境内案内になってしまった高幡不動尊でした。σ(^_^;)





あ、書いていて判ったのですが、全て回れていなかったようです。・・・ご要望とあれば今週再訪してきます。・・・紅葉も気になるしね(^_^;)あせるあせる





高幡山金剛寺
〒191-0031
東京都日野市高幡733
TEL 042-591-0032(代)
FAX 042-593-3038
京王線・多摩都市モノレール
高幡不動駅下車徒歩5分