めらさきじんじゃ

布良崎神社

社格・旧郷社

御鎮座・千葉県館山市布良379番地

御祭神・天富命(あめのとみのみこと)

相殿

須佐之男命(すさのおのみこと)

金山彦神(かねやまひこのかみ)


車は注意・ナビでは途中ゴルフ場の中を案内するので気をつけましょう。(^_^;)


布良崎神社






布良崎神社

御鎮座は館山市布良(めら)。祭神は天富命(あめのとみのみこと)で、安房神社の祭神・天太玉命の孫神にあたります。天富命は、神武天皇即位の始めに四国阿波の地から、麻と穀の栽培に適した東国の肥沃な土地を求めて、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の孫を伴って、阿波の忌部(いんべ)一族を率いて布良の地に上陸したとされる人です。






布良崎神社





安房地方を開拓して麻・穀かじを植えながら、上総の国・下総の国へと開拓を進めていく一方、この地に残った忌部の人々と村人達は、天富命の徳を慕い、祭神として布良の集落に社を建てたのが布良崎神社であると伝えられています。




布良崎神社





同神社は元禄の大地震(1703年)のあとも、明治9年(1876年)の大火・明治10年の台風等の度重なる被害を受けたことから、村人達は日掛け3厘の積立てを行い、明治13年から8年間の貯金を基金にして境内を整地し、明治41年(1908年)に現在の社殿を造営しました。





布良崎神社





石垣

石垣に使用されている石は伊豆から漁師が船で運んできたそうです。当時、布良ではマグロ漁が盛んで、伊豆沖を漁場としていましたが、現在のように冷蔵技術がなく、布良までは持って来る事が出来ず、伊豆で魚を下ろしていたそうです。しかし、行きは餌を大量に積み、帰りは空になるため、船のバランスが取れず、止むなく伊豆から石を積んでの帰港になったそうです。その為に石が大量に溜まっていき、同神社の石垣造りに用いられたそうです。・・・余談ですが、当時はマグロ御殿が建つくらい豊漁で、千葉県全体の経済をも引っ張る程の町だったそうです。(千葉銀の前身もここから始まったそうです。)


伊豆産の石☟☟


布良崎神社





大山祇神社
石段左手に御鎮座していますが、見えにくい所に祀られているので要注意です。




布良崎神社





石段を登ると右に手水舎・正面に拝殿が建っています。



布良崎神社




《拝殿》本瓦葺・入母屋造り
拝殿の大きさとは反比例して、向拝が無いので参拝してもイマイチ盛り上がらない。(^_^;)・・・盛り上がらないって言うのも変かな??




布良崎神社






《御本殿》
こちらは神明造りの御本殿。・・・拝殿か本殿か分かりませんが昭和54年に屋根の葺き替えをしています。







布良崎神社





さて話は代わり、ここは無神社ですが、自分が訪れて、間も無く白塗りのクラウンが横付け、自分の行動を監視しているおじさんがいました。(^_^;)あせる




布良崎神社




そのおじさんがこちら☟☟の画像の方。実はこの方同神社の総代で、自分が参拝するのを待っていた様で、参拝終了後、声をかけられ神輿を見せてくれるとの事でした。・・・・私、胡散臭いから監視されているのかと思った。




布良崎神社





こちらの総代はお話が好きで、約1時間弱話込んでしまいました。・・・先ほどのマグロ・石垣等の話は総代から聞いた話で、その他にも、色々教えて頂きました。他には、大時化の時出漁して、全船転覆、200人いた漁師も全員帰らぬ人となってしまい、後家村と呼ばれていた時代もあったそうで、それを期に、保険会社(帝国保険・現あさひ生命)が設立されたんだとか。あ、あと安房神社との確執とか・・色々(^_^;)あせる
そんなこんなで、話が済んだらとっとと帰っていきました。・・・本当に話だけをしに来てくれたんですね。(^_^;)アハハハ汗




布良崎神社




あと、こちらの鳥居ですが、年に一日~二日だけこの鳥居の中に、富士山と朝陽が同時に入ってくるそうです。また、同神社の例大祭も、この日を待って行われるそうです。後は神輿伝説・著名人伝説(実話)など話せばキリがない同神社の伝説等々でした。




(^_^;)あせる



簡単ですが、壮絶な過去を持つ、布良の村と布良崎神社でした。m(_)m・・・御朱印?聞く雰囲気ではなかったので無~し(^_^;)あせるあせるあせる