玉村八幡宮

社格・旧県社

御鎮座・ 群馬県佐波郡玉村町大字下新田1

社務所・0270-65-2305

御祭神

誉田別命(ほんだわけのみこと)

気長足比売命(おきながたらしひめのみこと)

比咩神(ひめのかみ)

*御由緒*

当宮は日光例幣使道玉村宿の北側ほぼ中央、上新田と下新田の境に鎮座し、参道が街道に向かい延びています。この境内地はもと中世の館跡と伝えられています。はじめは角渕村にあり、社名も角渕八幡宮と称していました。玉村八幡宮に関する資料として当宮には二つの縁起が保存されています。




玉村八幡宮






一つは『上野那波郡府内角渕八幡宮縁起』で、もう一つは『上野国玉村八幡宮本紀』です。前者は当宮別当神楽寺遍照院の僧が元和元年(1615)に編み、後者は前橋藩の儒官古市剛が貞享3年(1686)に前者縁起を参照して著したものであります。当宮の創立沿革を知る史料としてはこの二つの縁起のほかには棟札類がわずかに残っているにすぎません。これらの史料をまとめると、当宮の創立と沿革は次のようになります。





玉村八幡宮







鎌倉時代の建久6年(1195)に源頼朝が上野奉行安達藤九郎盛長をして鎌倉鶴岡八幡宮より御分霊を勧請して創建した八幡神社(町内角渕鎮座)が当宮の元宮です。







玉村八幡宮







角渕の八幡神社には本社、塔、鐘楼、山門、鳥居などが建てられました。応永18年(1411)に鎌倉公方足利満兼が大破していた堂舎、僧坊を再興 し、さらに永正4年(1507)には白井城(現北群馬郡子持村)城主長尾氏が戦火で消失したものを再建しました。






玉村八幡宮







慶長10年(1605)、関東郡代の伊奈備前守忠次が、当地の新田開発の任にあたって「今我荒原を以って熟田と成さんと欲す。伏して請い願わくは神霊我を祐(たす)けよ。若しその功成る時は即ち謝するに神社の造立を以ってせん」とその成就を祈願しました。慶長15年(1610)、前橋の総社から天狗岩用水 を延長する代官堀(滝川用水とも称される)を開削して開田するという一大事業が無事竣工し、角渕の八幡神社の本殿を移築し、現在地に奉斎しました。






玉村八幡宮







境内地は伊奈備前守の陣屋と開発に協力した和田与六郎の屋敷に挟まれた中世の環濠屋敷跡とされ(外周の濠は狭められたり、一部埋め立ててあるものの、ほぼ旧態をとどめています)、新たに設置された上新田村と下新田村の境に位置します。










玉村八幡宮







以来、武神として諸武将の尊崇をあつめて栄え、近世には厩橋(前橋)藩主酒井氏の庇護を受けるところとなりました。寛永15年(1638)酒井雅楽頭忠清によって修理が加えられ、慶安2年(1649)8月、三代将軍徳川家光より朱印地30石の神田を賜りました。寛文7年(1667)、再度酒井忠清によって 社殿の修理が成されました。






玉村八幡宮






貞亭元年(1684)には、酒井雅楽頭忠明によって新院良仁(ながひと)法皇(後西天皇)の御宸筆(ごしんぴつ)、「八幡大菩 薩」の神号が奉納されました。その後もたびたび修理が加えられましたが、寛延2年(1749)に崇敬厚かった酒井氏が播磨国姫路に移封されて以降は領主に よる修理は行われず、以後は七郷十二ヶ村が協議の上「修理講」を興し、その講金に朱印地の収穫を合わせて祭儀の執行と社殿の修理にあてるようになりました。








玉村八幡宮







江戸時代は神楽寺がその別当職でしたが、明治初年の神仏分離政策により八幡宮と神楽寺はそれぞれ独立しました。明治6年村社に列せられ、同41年1月31日境内社稲荷神社ならびに近郷の神社8社を合祀、同年8月1日には室町事態の建築様式を残す本殿が国の特別保護建造物(旧国宝)として指定。







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大正14年には県社に列せられ、昭和25年に本殿が国の重要文化財に指定。昭和11年、平成11年に社殿の修理が行われ今日に至っています。





玉村八幡宮






➊随神門

この随神門は慶応元年(1865年)の建造で入母屋造楼門です。棟札によれば、大工は越後国中之嶋の浅野喜内藤原長正、彫物師は武蔵国玉井村の小林槽次郎榮次郎らで、建造にかかわる文献資料はすべて文書で残されています。

➋安産・子育ての祈願所

子育て犬の周りには干支を書いた玉石が並んでいます。

➌猿田彦・淡島神社

■猿田彦神社(向かって右側)
猿田彦神社(石碑)は永年当社境内に祀られていましたが、平成14年、玉村八幡宮境内社として改めて社殿が建立されました。

■淡島神社(向かって左側)
毎月10日を人形感謝祭の日とし、人形・ぬいぐるみ・こいのぼりなどの供養を行っています。
❹猿田彦神社前の絵馬と見猿・言~~の石像





玉村八幡宮





*拝殿*

建造時代は、建築の各種特徴からみて、十八世紀末ごろと推定される。造りは入母屋造で、以前は、棟札を見る限り、檜皮茸の屋根であったが、現在は銅板一文字茸です。



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*御本殿*

永正4年(1507)建立、慶長15年(1610)移築
鎌倉時代の建久6年(1195)に守護安達氏によって鎌倉鶴岡八幡宮から勧請されました。神社の当初の社地は約2.5km南の角渕地内で、現在でも同地には八幡宮が祀られています。慶長15年(1610)に代官伊奈忠次の新田開発祈願を契機に角渕から現在地の下新田に移されました。

三間社流造、柿葺で南面しています。建物全体は漆彩色で華麗な造りとなっています。最近、きつつきに穴を(3箇所)開けられ修復したばかりだそうですが、既に2箇所新たな穴を開けられているそうです。




玉村八幡宮







猿田彦大神石碑(中央)右に古峰神社・左に稲荷神社が祀られています。






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*国魂神社(奉安殿)*

奉安殿とは、天皇・皇后両陛下のお写真奉置所のことで明治四十三年十月に玉村小学校に建てられました。児童達は登下校の際には必ず奉安殿に礼をして通っていました。
戦後、奉安殿は八幡様の境内に移転し、戦没者慰霊の国魂神社としてお祀りしております。
この国魂神社は戦没者慰霊の意味だけではなく、この先戦争中の子供達が、どの様な教育を受けてきたかを学ぶ事や伝えていく上で重要な建物だと考えらます。












*厳島神社*




玉村八幡宮






池の中心に島があり、そこに社殿・絵馬掛け所がある。





玉村八幡宮




社殿周りには、縁結び・金運・学業など、ありとあらゆる絵馬が掛けられていました。





玉村八幡宮






玉村八幡宮、文化財になっている本殿をはじめ、髄神門・厳島神社諸々、とにかく見所が多い神社です。参拝だけではなく、境内を見て歩くだけでも十分楽しめるお社だと思います。勿論楽しいだけではなく、社殿などからは、歴史を感じさせる、厳かな雰囲気も味わう事ができるはずです。






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*御朱印*

書いて下さった神職の方は、近隣の神社(無人・在職)の情報を教えてくださる方だったので、大変参考になり、この後の巡拝にも大変役立ちましたm(_)m




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*オリジナル御朱印帳*








あ、最後に御神木。m(_)m





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明日は休場致します。m(_)m