虎ノ門・金刀比羅宮(撮影・2014/3/29)

社格・旧府社

御鎮座・東京都港区虎ノ門1-2-7

電話03-3501-9355

主祭神・大物主命(おおものぬしのみこと)

相殿・崇徳天皇(すとくてんのう)



*御朱印帳は2013年に拝受*





*御朱印*






*御由緒*

当宮は万治三年(1660)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。




金毘羅宮






爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。


 




金毘羅宮






当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。







金毘羅宮








ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信されています。








金毘羅宮









同宮は琴平タワー1Fに社務所・タワー前広場が境内になっている近代的お社ですが、じつは由緒正しい名社の一社に数えられるお宮です。








金毘羅宮






*相殿には崇徳天皇*

崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられました。保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさっていました。




金毘羅宮







長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられております。46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなりました。






金毘羅宮


ビルに映ったオオシマ桜☝☝☝





近代的なビルの谷間に鎮座していますが、春にはオオシマ桜が咲き、近隣のサラリーマン・OLなどの憩いの場となっています。







金毘羅宮





虎ノ門・金刀比羅宮、YAJIRO家では、通称タワー神社と呼んでいますm(_)m









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東京メトロ銀座線『虎ノ門駅』2番出口より徒歩1分