世良田東照宮

社格・旧郷社

御鎮座・群馬県太田市世良田町3119-1
社務所・0276-52-2045

御祭神・徳川家康公
*徳川発祥の由来*

徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘の内、当地「世良田」他5カ郷を譲り受けた子の義季である。義季は5カ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、徳川義季と称した。




世良他東照宮





承久3年(1221)世良田郷を開発した義季は臨済宗長楽寺を開基し、世良田の義季とも称された。寛元4年(1246)頃、亡くなり同寺境内に葬られた。その後、頼氏・教氏・家時・満義と後継。





世良他東照宮






次の政義・親季・有親は、南北朝時代に南朝方として活躍したが、9代目の親氏に至り北朝の猛勢により徳川郷を追われ同志や一族の居所を頼りに出国。諸国を流浪の後、松平郷に身をよせ郷主在原信重に入婿し、松平親氏と称した。 それから7代を経て家康公は誕生した。家康公は三河一国を統一した25歳の時、松平姓から 徳川・世良田を開発した徳川義季にあやかり、徳川に復姓した。





世良他東照宮






また松平家二代泰親は世良田三河守、同三代信光は世良田二郎三郎、同七代清康は世良田次郎三郎、家康公第四子忠吉は世良田下野守、尾張家三代綱誠は元服時に世良田、徳川七代将軍家継は幼名時に世良田鍋松君と先祖の姓である世良田を称していた。 






世良他東照宮






*創建*

寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。










21年(16441011日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社でも高禄の200石の御朱印が寄せられた。以後、大小15回による社殿の修復は幕府の財政により賄われて来、世に「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と俗謡を生んだ。





世良他東照宮




御黒門(縁結び門)
江戸時代は、家康公薨去日4月17日・正月17日開扉された。また、地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると伝えられる。


拝殿(重要文化財)

日光東照宮奥社拝殿として元和年間(1615~1623) に造営され、寛永17年(1640年)~同19年に当地、徳川氏発祥の地「世良田」へ移築された。設計施工 中井大和守正清の最後の作ともいわれ、桃山時代の特色をよく表している。


宝蔵庫

昭和21年(1946)、世良田小学校校庭内にあった奉安殿の撤去に伴い宝蔵庫として東照宮境内に移築。



世良他東照宮




唐門(重要文化財)

拝殿移築時に日光東照宮奥社神廟前にあった門を移築。門に付随し透塀が本殿を一周している。

*上下の画像は御本殿(重要文化財)*
当宮創建時に造営され、伝左甚五郎作、狩野探幽彩画の彫刻「巣籠りの鷹」が参拝者の家内を守護してくれます。


世良他東照宮





拝殿・唐門・御本殿を間近で拝観する事ができますが、有料(300円)になります。但し、入苑すると宝物館なども見学できるので、間近で歴史を感じたい方にはお得感があるかもです。




世良他東照宮





拝殿は昇殿こそ出来ませんが、中の様子は手に取るように分かるのは感動ものです。




世良他東照宮





鉄燈籠
元和4年(1618)総社藩主秋元越中守長朝の命により造られた、高さ4.95mの当時とすると 日本一大きい鉄燈籠。明暦4年(1658)当宮へ奉納される。
*当時の技術の粋を駆使して作られたそうです。


世良他東照宮






開運稲荷
古くから当地世良田に鎮座する開運、商売繁盛のおいなりさま。 平成8年に再建。祭典は毎年旧初午日(三月中旬)。





世良他東照宮




画像上段・東照宮古跡、真言院井戸


下段左・御供水井戸・右は古跡、普光庵跡





*新御朱印帳*

今年、4月11日に頒布された御朱印帳で、色は三色(他・赤・薄緑)から選べます。


世良他東照宮




*家康公式年御朱印*

金のスタンプが押印されています。




家康公・400年式年の今、徳川氏の原点とも言える世良田に触れて見ては如何でしょうか。・・あ、観光大使ではありません。





◎東武伊勢崎線   世良田駅から徒歩で20

無料レンタルサイクル有り)

◎東武伊勢崎線   太田駅南下車 公共バス

あおぞら歴史公園行きで45