荏柄天神社

社格・旧村社

御鎮座・神奈川県鎌倉市二階堂74

電話0467-25-1772

御祭神・菅原道真公(すがわらみちざねこう)

御由緒

当社は、古くは荏柄山天満宮とも称されました。荏柄の社号は、天平7年(735年)の『相模国封戸租交易帳』などに見える「荏草郷」の”えがや”が後に転じて”えがら”となり、「荏柄」と表記されたものと考えられています。




荏柄天神社




また、長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。




荏柄天神社



関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。






荏柄天神社




治承4年(1180年)鎌倉大蔵の地に幕府を開いた源頼朝公は当社を鬼門の守護神と仰ぎ、更めて社殿を造立されました。以後、歴代の将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、「吾妻鏡」には二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行された事など、社名がしばしば記されております。





荏柄天神社




この様に中世より特に崇敬された当社は、足利、北条、豊臣、徳川の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて近世にいたりました。現在では学問の神、正直者、努力を重ねるものを助ける神として年間多くの方々が参拝され、社殿はいつも「祈願」「お礼」の絵馬で覆われています。



荏柄天神社




拝殿・拝所





荏柄天神社





目の覚める様な朱色の社殿は、寛永元年に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したものだそうです。




荏柄天神社




境内右には明神鳥居と石段があります。


荏柄天神社




石段の上には神明鳥居が建っていて、奥の洞窟には熊野権現社が鎮まっていました。(ここだけ雰囲気が違っていました。)

伊邪那岐命、伊邪那美命、天宇受売命の熊野三柱神が祀られています。




荏柄天神社





本殿向かって境内左


荏柄天神社



境内より、一段上の小高い所には、かっぱ・絵筆塚が祀られています。




荏柄天神社




本殿の左手には、カッパの漫画を書き続けた清水崑が愛用の筆を扶養する為に建てた「かっぱ塚」があり、その奥には清水崑の意思をついで、多くの漫画家が建てた絵筆塚が建てられています。




荏柄天神社


かっぱ塚から見た社殿・御本殿は三間社流造・銅葺




荏柄天神社




授与所では、昔ながらの製法で作った、自家製の梅酒を頂く事も出来るそうです。



荏柄天神社





御朱印



荏柄天神社



境内には、梅を始め樹齢600年の大銀杏(御神木)があり、市の天然記念物に指定されています。





荏柄天神社


以上、荏柄天神社でした。m(_)m





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