宇美八幡宮と八幡宮

前回のブログとは違う内容で書いています。


宇美八幡宮

社格・旧県社

御鎮座 ・ 福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1

電話092-932-0044

御祭神

神功皇后(じんぐうこごう)

八幡大神(応神天皇)

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

住吉大神・太祖大神


御由緒

宇美八幡宮は福岡県糟屋郡宇美町平野部のほぼ中央に位置し、第十五代応神天皇御降誕の地に応神天皇さまを始め神功皇后さま、玉依姫、住吉大神、伊弉諾尊さまをおまつりします。八幡様は殖産文化の祖神として遍く崇敬されておりますが御降誕の聖地におまつりする宇美八幡宮は「安産育児」の信仰が特に篤くたくさんの方が安産祈願や安産の御礼に参拝されます。



宇美八幡宮



 ご創建はきわめて古く、当宮に伝わります「伝子孫書」によれば「敏達天皇三年甲午筑紫の蚊田の邑に始めて宮柱太敷建給う。」とあります。平安時代には石清水八幡宮と本末関係にあり安産祈願の守護神として信仰されておりました。江戸時代以降は福岡藩主黒田公より社殿の修復、神領の寄進等がなされ、明治五年村社に列格、明治二十四年には県社に昇格しました。


宇美八幡宮


 境内には樹齢二千年と推定される「湯蓋の森」「衣掛の森」を始め数多くの老樟が生い茂り、若葉の季節となれば萌えるような若葉に御神威の新たな息吹を今日に伝えています。


宇美八幡宮


安産信仰に関する伝承は数多く「子安の木」「子安の石」「産湯の水」「胞衣が浦」等が民族資料として県の指定を受けています。1月5日の「御誕生祭」、4月中旬の「子安祭」、10月中旬の「放生会」が古くより執り行われております。春の「子安祭」と秋の「放生会」には県指定の無形民俗文化財である「宇美神楽」の奉納があります。春の「子安祭」には2年に一度、3台の御神輿が出て賑わいます。(宇美八万HPより)


宇美八幡宮




御誕生祭(一月五日)


明治以前は凡て旧暦で十二月十四日祭神応神天皇御降誕の日で年一度の大祭が行われて居ました。「誕生会」とも申し「御降誕祭」とも申していました。神社と同じ御祭神をお祀りする福岡市東区の筥崎宮に於ては新暦の十二月十四日、御降誕祭としてお祭りが奉仕されています。


宇美八幡宮



明治天皇様の祖父であられる仁孝天皇様の御誕生に際し、宇美八幡宮の「誕生祭」当日に安産祈願に参拝された模様が神社の宝物「子安の木」と題した本の中に審かに記されて居りますのでその概略を紹介しますと『仁孝天皇は光格天皇の第四王子、御生母は中宮東京極院藤原娟子である。寛政十二年正月二十三日の御出産である。ご出産に際し内勅の使として司馬中務なる人物を福岡へ下向させることとなった。路用金拾五両、用心金拾五両合わせて参拾両をもって香椎-箱崎-亀山を経て、宇美へと急ぎに急ぐ道中記は全く面白い。中務は神慮の然らしむる所か十二月十四日は応神天皇御誕生の日に当たり、しかも千六百年祭のその日にあたると香椎で知って三十余人のせり籠を箱崎で雇入れ、ひた走りに走らせて午后四時頃宇美八幡宮へ着くと直ちにその辺の寺々に触れさせて晩鐘を撞くことも待たせ、「よし日は暮れても晩鐘の鳴らぬ間はまだ日の内」と神前に天子よりの御初穂全二百疋中宮よりの金弐両、子安縄の白羽二重一畳其の他を添えて供えた』と記されています。


宮中より安産祈願に下向の日が偶然にも「誕生祭」の大祭の吉日であった事を物語っており当時の「御誕生祭」の模様を垣間見ることが出来ます。明治の官制により一月五日を年間を通じての例大祭「御誕生祭」と定め、祭典が執行されることになりました。




宇美八幡宮



【八幡宮】

全国神社の中で最も多い神社が八幡宮であり、九州の宇佐神宮がその総本社とされています。







宇美八幡宮



奈良時代、聖武天皇の天平年中に早くも皇室の厚い信仰を得ていました。清和天皇の御代、宇佐神宮を京都へ勧請し、石清水八幡宮をお祀りし、御冷泉天皇の御代には石清水から鎌倉へ勧請し、鶴岡八幡宮をお祀りしました。



宇美八幡宮






宇佐は十年に一度、石清水へは、毎年勅使が参向し祭が盛大に行われています。御祭神は夫々の神社に依って多少異なりますが応神天皇、神功皇后、比売神をその根本の形としています。比売姫は、宇佐、石清水では、宗像の三女神である多紀理姫、多紀津姫、市杵島姫とされ筥崎宮では玉依姫の命とされています。お名前は色々な解釈が行われていますが玉が依る大変尊い神徳を備えられた神様を申し上げるとも申されています。神武天皇の母君である玉依姫のお名前は記紀に見えて居ります。大変神徳の高い神様として崇敬されていたことが伺えます。



宇美八幡宮





祭神の異なった八幡宮として鹿児島の旧官幣大社の鹿児島神宮(祭神は火々出見尊、霧島神宮の父君)

は「正八幡宮」と申し上げます。同じく鹿児島県川内市の新田神社は祭神に瓊々杵尊様をお祀りしていますが「新田八幡」と申し上げています。八は数の多い事を意味し、幡は広々としていることからの言葉で八幡宮は広く神徳をそなえられ一般庶民からのあつい信仰を受けていました。神様といえば八幡様のことであり、八幡様の信仰がいかにあつかったかを物語っているのではないでしょうか。



宇美八幡宮



子安の石は持ち帰り、願いが叶ったらお返しするそうです。


子安の石☟

宇美八幡宮



【産湯の水】


宇美八幡宮



応神天皇が生誕した際、産湯に浸かった所と云われています。

宇美八幡宮




水面を見ると何故か吸い込まれそうで、少し怖かった。



宇美八幡宮





【湯蓋の森】


宇美八幡宮



同八幡宮に来訪して思ったのは、応神天皇というより神功皇后が息づいている八幡宮だと感じたのですが、これは自分だけですかね!

あ、勿論神功皇后にはお会いした事も、神功皇后を感じた事も今まで有りませんがm(_)m


宇美八幡宮


御朱印


宇美八幡宮




子安祭・宮入り


宇美八幡宮


【子安祭】

春の大祭を子安祭と申し上げ、今日では新暦四月十四、五両日執行されるのが慣習であります。子安の名称は神社の神木として社殿向かって左側に槐(エンジュ)の木を「子安の木」とも申します。



宇美八幡宮


安産育児の神社として「子安の大神」の称名もあり「子安の石」の信仰もあることなどから、春の祭りを特に年中大祭の一つとして「子安祭」の名称が生まれたと思われます。

宇美八幡宮


「子安祭」には隔年に神幸の儀式があり、当日、早朝よりその祭典が行われます。神幸の儀は井野頓宮へ向かう途中御休みの場として浮殿があり、その地名は今も残って居ることから、相当古くからの行事であったと思われます。


宇美八幡宮







宇美八幡宮














宇美八幡宮




最後迄お付き合い頂き有難うございましたm(_)m


只今、ホームに不在の為、再送が多く恐縮です(;´∀`)

どうでもいいとは思いますが、今月13日には帰る予定でおります。(台風19号が気になりますが?)

あ、そうそう書いている今は8日の午前8時過ぎです!

皆様が見ている今頃は宮崎にいるとおもいます。



それでは、良い休日を(^.^/)))(^.^/)))