甲斐・武田神社   参拝2013・8・24日

社格・旧県社

御鎮座・甲府市古府中町2611 

電話055-252-2609 

御祭神

武田信玄公(たけだしんげんこう)



信玄公はあらためて申すまでもなく、我が国戦国時代きっての名将であります。大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年412日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、緒戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。

而して、現在でも県民こぞって「信玄さん、信玄さん」と呼びならわし敬慕の情を表し、郷土の英雄として誇りともする所以であります。




由緒


大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、412日のご命日には初の例祭が奉仕されました。

爾来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成11年にはご創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」のご造営を始めとして各種記念事業が展開されています。





武田神社








【手水舎】

武田神社





手水鉢は武田家・家紋の武田菱を象って造られています。


武田神社








武田神社






【拝殿】


武田神社












武田神社






【甲陽武能殿】


武田神社



「甲陽」とは、命名者 観世喜之師の座右の書である、甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」より引用されている。「甲陽」の意は甲斐の国の輝く様を表している。武能とは、武田氏の「武」であり能楽「舞」と同じ音につながり、古来より武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れたと伝えられている。この武田の社に築かれた輝かしい舞台において、能楽を始め神楽また演武といった芸能が未来永刧演じられる事を願い命名された。



武田神社







武田神社





躑躅ヶ崎館跡











(HPから引用)

武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。

館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せます。また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれております。



【御朱印】


武田神社
















簡単では御座いますが、以上武田神社でしたm(_)m




それではまた(^.^/)))