備中國一之宮・吉備津神社(三備一之宮)
社格・旧官幣中社
御鎮座
岡山県岡山市北区吉備津931
電話086-287-4111
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
相殿・仲彦命(なかつひこのみこと)
相殿・御友別命(みともわけのみこと)
相殿・千々速比売(ちちはやひめのみこと)
相殿・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
相殿・日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
相殿・倭迹迹日稚屋媛(やまとととひわかやひめのみこと)
相殿・彦寤間命(ひこさまめのみこと)
相殿・若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこのみこと)
同社は大吉備津彦命を主神とし、その異母弟の若日子建吉備津日子命と、その子吉備武彦命(キビタケヒコノミコト)等、一族の神々を合わせ祀っております。大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子にあたられ、もとのお名前を五十狭芹彦命(イサセリヒコミコト)と申し上げ、武勇の誉れ高いお方であられます。
一説によりますと、第十代崇神天皇の御代、災害もなくなり天下もようやく治まってまいりましたが、都から遠く離れた地方には未だ朝廷に従わない者が多数おりました。そこで天皇即位十年に皇族の中から四人の将軍を選び、印綬を授け各地方に派遣し討伐することとなりました。すなはち、北陸道には大彦命(オオヒコノミコト)、東海道には武渟別命(タケヌナワケノミコト)、丹波には丹波道主命(タニハニミチヌシノミコト)、そして西道のちの山陽道には大吉備津彦命が派遣されることとなりました。 吉備津彦命と異母弟若日子建吉備津彦命は兵を率いて山陽道を進軍し、まず播磨国に達してここを「吉備の道口」と定められ加古川の畔で神祭を行っております。
その場所と思われるところに日岡神社が現存し天伊佐々比古命がお祀りされています。 こうして命は吉備国に入り、人々を苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を苦戦の末退治することができ、この地方に平和と秩序をもたらしたと云われております。
由緒書きより抜粋
御神徳は延命長寿・運輸交通守護・安産育児など
御神体は吉備の中山になります。
岡山駅から吉備線に乗って15分程で、岡山県西部に
鎮座する吉備津神社に最寄りの吉備津駅に着く。
水田の間に真っ直ぐ延びる松並木の表参道を歩くと
正面に見えてくるのが神奈備の吉備の中山です。
社頭
お決まりの石段です![]()
一段上には北随神門が建っています。
室町中期に再建され重要文化財に指定されています
随神門を抜けて、もうひと石段
上りきると、すぐ前が拝殿になっている。
息つく間もなく参拝するので、何かあっけなく
終わってしまい、物足りない感だけが残った
ような気がしました![]()
(心の準備が出来てなかった)
実は、帰りにもう一度参拝してしまいました![]()
拝殿・本殿
拝殿・本殿・室町時代初期の代表的建築物で
『吉備津造り』と称され全国唯一の造りとして
国宝に指定されています。(檜皮葺)
一段高い『一童社』の前から撮影☟
写真奥に建っているのが授与所になります。
一童社前の絵馬掛け所
廻廊
南随神門より撮影・廻廊は全長360mに及ぶ
南随神門・回廊の途中に位置し、延文2年(1357年)
再建当社諸殿宇中最古の建造物。
廻廊と南随神門
廻廊を右に折れると『お釜殿』があります。
*鳴釜神事*
御祭神によって退治された鬼の首が埋められて
いるという伝説が伝わる御釜殿にて執り行なわ
れる神事です。お釜の鳴る音によって吉凶禍福
を占う神事であり、その神秘な霊験は少なくとも
室町末期には天下に有名であり、江戸期の怪奇
小説『雨月物語』にも登場します。 由緒書きより
何故かPOSTが置いてありました?
お釜殿から撮影した本殿
*廻廊に沿って鎮座する境内社*
えびす宮
祖霊社
不覚にも途中で立ち止まってしまった石段(⁰︻⁰) ☝
三社宮
右から・八幡宮・大神宮・春日宮
廻廊一番奥に中宮社が鎮座している。
最後に、道を一本挾んで滝祭神社
御朱印
実は、もう一度拝観したくて翌日も再訪しました![]()
以上備中一之宮・吉備津神社でしたm(_)m
それではまた( ´ ▽ ` )ノ
いい神社でした、吉備津神社![]()


























