筑前國一宮・筥崎宮(はこざきぐう)
社格・旧官幣大社
御鎮座
福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
電話092-641-7432
御祭神
応神天皇(八幡大神)
神功皇后(応神天皇の母君)
玉依姫命(神武天皇の母君)
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
社 頭
本宮の鳥居は、御本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれます。
一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。
独特な型式の手水舎
楼門(国指定重要文化財)
文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮茸(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれています。
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わります。
湧出石
力が湧いて来るので、石を触って行きましょう。
絵馬殿
中には古い絵馬が沢山掛けられているが
いつの時代の物か分からない。
亀山上皇尊像奉安殿 (県指定重要文化財)
明治三十五年、博多出身の彫刻家山崎朝雲によって制作されました。
楼門・・・拝殿・御本殿
筥崎宮の楼門は、阿蘇神社・鹿島神宮と共に
日本三大楼門の一つに数えられています。
扁額
敵国降伏は武力で降伏させるのではなく日本国の得や人としての得で相手を納得させる意味のものです。
本殿・中央
御本殿
醍醐天皇の延喜21年(921)、大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995)、大宰大弐藤原有国が回廊を造営したと伝えられています。しかしその後、元寇の戦火、兵乱などにより幾度かの興廃がありました。現存する本殿、拝殿は天文15年(1546)大宰大弐大内義隆が建立したものです。
本殿・右
本殿は総建坪46坪に及ぶ優秀な建物で、九間社流造(きゅうけんしゃながれづくり)、漆塗、屋根は檜皮茸(ひわたぶき)、左右には車寄せがあります。拝殿は切妻造、檜皮茸で、梁組が2重になっている素木のままの端正な建物です。
(国指定重要文化財)
本殿・左
本殿裏手に末社が静まっています。
東末社
右から池島殿(手足の守り神)
式内社(不老長寿・健康の神)
乙子宮(子育ての神)
住吉殿(海上安全の守り神)
稲荷社(商売繁盛の神)
西末社
右から
龍王社(海と空の守り神)
若宮殿(芸能・文化の守り神)
仲哀殿(八幡様の親神様・家族の守り神)
厳島殿(旅行安全の神)
民潤社(火除けの守り神)
授与所
境内には鳩が沢山いるが、綺麗に清掃されてます。
餌の自販機があって、自販機に人が近づくと餌が貰えると
思って、すかさず寄ってきます。
一斉に方向転換して自販機にまっしぐら・・・・
緑のボックスが餌の自販機です。
鳩が皆んな集まって来て、女性の方
少し腰が引けてしまっていた・・・・≧(´▽`)≦アハハハ
御朱印
・近隣コインパーキング使用
・由緒書 あり
・朱印帳 不明
・休憩所 不明 簡易ベンチ
・自販機 あり
・トイレ 綺麗
簡単では御座いますが、筑前國一宮・筥崎宮でした![]()
それではまた(^.^/)))























