今日は、お世話になっているお寺の和尚様に和歌でお手紙を書きました。

小さいときからよくお寺に行き、その度に和尚さまはお茶を出して下さり、修行をしていた頃のお話をしてくださいました。来週お寺に行く予定なので、その時お手紙をお渡ししようと思います。きっと返歌してくださるでしょう。

 

平安時代のように和歌が盛んだった頃は、宴で人が集まったときや、手紙の代わりとして歌が詠まれていました。万葉集を見ても分かる通り、貴族のように位の高い人だけではなく、民の間でも詠まれていました。和歌は実際に自分が詠んでこそ意味があると思います。中学生や高校生の頃の古典の授業は歌の本質に触れる時間ではなく、AIのような左脳的プログラミングだったなと思います。主に活用形を覚え、現代語訳にする。受験ではマークシートを使い、一番正しい現代語訳を選ぶ。といったことをしていました。和歌は機械的学習で身につくものではありません。そもそも教科書に載っていた解釈や翻訳は、かなり歪曲されていました。

 

先人たちの作品を拝見し、五感でありありと想像し、思いを馳せる。そこから何を感じるのかが大切だと思います。

 

歌の道には終わりがありません。どこまででも極めていくことができ、普遍という世界へ旅をすることができます。

この旅をどこまでも楽しんでいきたいと思います。

 

今日も読んで下さりありがとうございます。

 

「万歌の会」 会長 太三太