今日は、和歌を詠むことについて会員様とディスカッションをしました。

苦手なお題。あるいはあまり興味のないお題で和歌を詠む場合、私達が何を得ることが出来るのか。についてです。大変興味深く、高度な質問をいただきました。このような話し合いができるというのも「万歌の会」ならではかと思います。

 

私の解釈では、和歌とは、抽象度の高い表現方法のことだと定義づけております。つまり何をお題にするとしても、抽象度を高くするということは歌を詠む上での前提条件となるのです。

 

草葉には 玉とみえつつ わび人の 袖の涙の 秋の白露 (作: 菅原道真)

 

悲しくて涙が出る様子を、草葉に白露が置いてある自然界の情景に気持ちを重ね合わせていることが分かります。感覚がコード化(言語化)されておらず、五感レベルで表現されています。和歌の中でも、悲しい、楽しいと詠まれている作品もありますが、それらは全て中国語の影響によるものだと思います。感情をコード化(言語化)せずに、五感で止めておくということは、日本語特有の表現方法です。

 

*コード化とは、音を五線譜を用いて、音符として表現するように、多くの人の間で伝達可能にしておくためのもののことです。みじかな例だと、桃色、桜色、撫子色をピンク。からし色を黄色、、、等 と表現するようなことです。西洋また欧米では、このように五感をコード化している例が多く見られます。

 

では、苦手で、あまり好きではないお題で歌を詠む場合に起こることについてお話します。例えば、母国語で話すのと、まだ慣れていない外国語を話すとき、外国語を使うと難しかったり、疲れたりすると思います。これは脳に負荷がかかっている状態です。つまり今まで使ったことのない脳の部位を刺激することによって、脳が活性化しているということです。結果、脳細胞同士をつなぐ脳神経、シナプスが結合されていくということです。脳神経は橋のような役割で、それがあることにより向かい側まで渡ることができます。苦手なお題に挑戦することで、これらと同様のことが起こるのではないか思います。

 

慣れていることや、好きなことでは、今までの経験で培ってきた戦略を強めることになり、新しい発見には繋がらないでしょう。しかし、そうではない新しい状況に身を置くことで新しい土地へ、経験という名の地図を拡大できるのではないでしょうか。

 

和歌の旅は、とても長く、無限の土地で構成されています。日々新しい発見があり、とても面白いです。この旅を思う存分楽しんでいきましょう!

 

「万歌の会」 会長 太三太