今日は菅原道真公をお祀りしている福岡県にある太宰府天満宮に行きました。

観光客の方も多く、韓国からの団体のお客様や、修学旅行生の方々が参拝にいらっしゃっていました。

 

太宰府天満宮は幼い頃より何度も行った馴染み深い場所であり、思い出がたくさん詰まったところでもあります。(梅ヶ枝餅は何度食べても飽きない味で、あんこの甘さとお餅のもちもち感がなんとも癖になります。)和歌の世界に足を踏み入れたことで、道真公の洗練された歌を何度も拝読しました。彼の天才性は、感情を抽象化する点だと思っています。数々の悲しみ、無念を自然界のものに対応させ、表現する。悲しみに暮れている自分を俯瞰し、観察している視点を持っています。これは日本人特有の感性でもありますが、道真公はそれに関しては特にエキスパートだったのではないかと思います。

 

太宰府天満宮に参拝に行くと、必ずおみくじを引きます。大吉、中吉などの表記は私にとってあまり重要ではなく、おみくじに書かれている道真公の歌を拝見する。これが私の楽しみなのです。まるで道真公から直接メッセージを頂いているようでなんだかとても嬉しいのです。

 

おみくじに書かれていた和歌は、

心だに 道にかなひなば いのらずとても 神や守らむ

実際に彼が詠んだ歌なのかの真偽は分かりませんが、縁がありこのおみくじを引いたということは、道真公からのメッセージだと思い、有り難く拝読しました。

 

太宰府天満宮では、毎年一月に「鷽替神事」があります。それは参詣者同士で木うそを交換し、天神様から誠を頂くといったものです。

 

博多区にあります臨済宗の聖福寺の和尚様で、仙厓和尚様という方がいらっしゃいます。

 

和尚様が詠まれた歌で

世の中の うそとうそとの かへかへに かへてあたへん 我は誠を

という作品がありますが、まさに道真公の思いを組んで詠われたものなのかと思います。

 

和歌の素晴らしいところは、抽象度の高さ。つまり情報量の多さだと思っています。和歌の世界は海のように深く、広いもので、読み手によっても、時代によっても、その時の気持ちによっても様々な解釈ができるというのは、とても面白いことだと思います。

 

これからも和歌の道に精進して参ります!

 

「万歌の会」会長 太三太