親子3人の東京旅行も最終日
ラストにやってきたのは、天慶3年の開山より「成田のお不動さま」として知られる『 真言宗智山派大本山成田山新勝寺』
(長い・・・・・・・・・・・)
正月3が日で300万人という初詣客数は、明治神宮に次ぐ全国2位なんだそーです。
そういえば一昨年の 『孤独のグルメ・大晦日スペシャル』 では、五郎さんが成田山でせいろ蒸しの年越し蕎麦食べてたっけ
東京旅行の〆に、何故に成田詣でに来たか・・・というと。
成田空港に近かった 愛媛と成田山は深い関わりがあるからなのです
遡ること、1080年前の939年(天慶2) 関東で、平将門の乱が勃発。
その時、勝利の祈祷を行うよう朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正は、弘法大師空海みずからが敬刻開眼した不動明王の御尊像と共に関東の地へと赴きました。
寛朝大僧正は、この成田の地にて21日間の御護摩祈祷を行いますが、その祈りが天に通じたのか・・・
祈願最後の日、平将門の討ち死ににより乱は終わりました。
しかし、成田の地に留まるようにという不動明王のお告げを受け、寛朝大僧正は成田山新勝寺を開山させたのです。
(そのため、将門とその家来の子孫は、10世紀以上過ぎた現在でも成田山新勝寺へは参拝しないとか・・・)
そう。
ここでピン、ときた貴方。
かなりの歴史通ですね・・・
平将門の乱は、別名を 『承平・天慶の乱』
そうです。
平将門とほぼ同時期に、瀬戸内海の海賊を束ねていた元・伊予国主の藤原純友が東西で朝廷に反旗を翻すのです。
あまりにタイミングが合いすぎていたので、若き頃の将門と純友が比叡山から平安京を見下ろし 『将門は王孫なれば帝王となるべし、純友は藤原氏なれば関白とならむ』 と誓い合ったという伝説も残るくらいです。
そうなんです。
天慶の乱を起こした藤原純友は、元・伊予国主。
大事なことなので、2回いいました。
さらにさらに。
寛朝大僧正が京都からもってきたご本尊は、弘法大師空海の手作り
弘法大師は四国の人だし、88ヶ所では愛媛とも深いつながりがあるし
やはり、ここはちゃんと拝んで御利益をもらわねば
と、いうワケで真言宗智山派大本山成田山新勝寺に、参拝・・・
の、前に。
憧れの成田ゆめ牧場 のフレーバーミルクを
我ながら・・・私って、ホンマにぶれない食いしん坊だわぁ (笑)
それでは、いよいよお参りへ。
まずは、高さ15メートルの総門から。
総門を抜けて、お次は1831年再建の国指定重要文化財・仁王門。
門の左右には、密迹金剛・那羅延金剛。
ところで。
上の写真、めっちゃ中央の赤い大提灯が気になりません
『魚がし』の文字が大きく目立っているのは、魚河岸講 (魚市場組合) からの奉納によるものだから、ですって。
この仁王門を越えたところで、石橋の上で皆が集まっておりました。
何だろう、と覗いてみれば・・・
この岩の上にお賽銭を投げて、池に落ちなければOK とな
そうと聞けば、もちろん我々も投げるに決まっております
イグアナはなんと、一発命中
らいらいは、3回目にクリア~~
まだむは・・・・・・7回目に届きました
うん。あきらめない姿勢はエライと思うよ。
時々、間違って飛んできた小銭が当たっても全然動じていなかった亀さん達は、さすがお寺に棲んでいるだけあって平常心が立派でござります
次回、成田のウナギ編へ・・・・・続いていいかしらん