こんにちはパー飛び出すハート



昨日は当ブログ開設して
初めてのコメントをいただきました!!

ありがとうございますラブラブ
めちゃくちゃ嬉しいです拍手


超絶ビビリの臆病者なのでね
コメントはオフにしとこうかと
迷ってたのですが

世界はそんなに怖くないのでは?と
些細なことすら自問自答して
今のところオンにしております照れ







さて、朝の一仕事終えてから
先日の子どもの発表会の動画を観ていたら


亡くなったお婆ちゃんに
とてつもなく会いたくなってきて


(なんか、わたしのブログご先祖様とか神様とか多いね…💦たまたま書こうと思ったことがそうってだけで、そんなに普段からオカルトチックには生きてないよ笑)


とにかくお婆ちゃんに
曾孫の姿を見せたかった


実際は今でもいつでも見れてくれてるんだろうけど


わたしが今体験してる現実として

元気なお婆ちゃんとわたしの子どもを
会わせたかったって思いが
やっぱり強くて

それは単にわたしの純粋な
願いなので不可能とか可能とか
考えずにただただ会わせたかったな~っと

それだけなのですが、





で、話はとびますが


昨晩主人とベッドに入るときに
嬉しくて堪らなくてニッコニコなわたしを見て主人が
『何がそんなに嬉しいのはてなマーク
と聞いてきて

わたし『だって今から眠れるなんてしあわせすぎるもん。寝るのが何より大好きだから照れ
と答えたら


主人『眠れることがそんなに嬉しいなんて、よっぽど疲れてるんだな~』
と。




え?
わたし純粋に、シンプルに、
眠ることが大好きなだけだけど…

わたし疲れてるの!?!?
そんなこと考えたことなかったよ
昔からいつも、やたらと眠くて
でも完全に安眠って、
できてなくは…ないけど
出来ないことの方が多かったからな~…。


時間さえあれば、眠い、寝たいって
寝ることばかり考えちゃう自分が
怠慢で大嫌いだったんだよなあ…。





で、さっきの
お婆ちゃんと曾孫を会わせたかった話に戻ると



わたしは家庭の事情で
幼い頃から実の実家を出たり戻ったりしていて
17才の頃に完全に実家に戻って
結婚して今の家に引っ越すまで
実家で暮らしてたのですが


17才で実家に戻った=17才から介護スタート
ということで

それ以前からでも
祖父母の病院に付き添ったり
他県の大きな病院まで
電車を使って泊まりがけで
祖母の通院やお見舞いに行ったりと
サポート程度にはしてたのですが


ほぼ、寝たきりでストーマケアの
必要だったお爺ちゃんは
わたしが実家に戻って一年足らずで
亡くなったのと
伯父伯母、みんなでサポートしていたので
さほど辛くはなかったのですが

それでも、夜中にガスでストーマのパウチが破裂して
泣きながら着替えさせて
お爺ちゃんを抱えて夜中にシーツ交換するなんてことはよくありました悲しい

母となった今、10代の子どもが
お母さんもいない場所で祖父母の下の世話をしていたことを考えると
なんとも言えない思いが込み上げますが

それでも自分が偉いとか
考えたこともなかった

まともに学校にも行けない、
社会に適応できないわたしは
育ててくれた祖父母の介護でしか
自分の存在意味も
住む場所もないと思ってたから。

今思うと完全に共依存だったのですが
抜け出し方なんて分かりませんでした。



そして、お爺ちゃんが亡くなってから
本腰を入れたのがお婆ちゃんのお世話。

お爺ちゃんに手がかかっていた頃は
お婆ちゃんは長期入院中で
お爺ちゃんが亡くなる少し前に退院して
(ちなみに同居していた伯父も大事故で長期入院していて、祖父が亡くなるちょっと前に退院笑い泣き)
おかげでみんなでお見送りができたのだけど。





もうね、お婆ちゃん相手だと
わたしも真剣になりすぎて

なんとか、お婆ちゃんの願望を叶えたい
少しでも楽に、元気にしてあげたい
美味しいもの食べさせたい
寒い思い、暑い思い、不快な思いは一切させたくない!!!!


って、毎日必死で

病院も調べて変えたり
時に担当医が不誠実だと感じた時には
怒鳴り込みに行ったこともありました…

結果
『何を言ってくれてんの?』
って言われて大泣きしながら帰りましたww
後悔はしてませんが笑い泣きグッ
すっごい小娘だったよホントにw


で、日常でも介護は
子育て同様24時間体制




こんな、インターフォンみたいなものを
自分の部屋に設置して
ボタンをお婆ちゃんに持たせておいて
いつでもわたしを呼べるようにしていたり

オムツ交換の時間があるから
呼ばれなくても数時間おきに見に行ったり
そんな毎日を25歳の終わり、
結婚し妊娠7ヶ月頃まで続けていました。
(昼間は車で5分ほどの場所に住んでる
伯母がお婆ちゃんを見ててくれました)




その頃よく、お婆ちゃんが
薬袋の裏などに書いてくれてたメッセージ

『◯◯ちゃんへ。いつも夜、夜中と起こしごめんなさい。仕事に行かなくてはいけないのにお漏らししてシーツなど洗濯してもらい申し訳なく思っています。夜中もいつも優しくしてもらい嬉しいです感謝してます◯◯ちゃんの身体こわさないようにしてね。私がいつも迷惑かけているので心配です。いつも申し訳なく、ありがとうございます。ばあちゃんより』

他にも『湯タンポありがとう』とか
『ベッドにお水を置いてくれててありがとう』とか
時には『ガソリン代にしてください』ってお金も置いてくれてたり


プライドの高かったお婆ちゃんが
孫にお漏らしの世話をさせてごめんねなんて
どれだけ心が苦しかっただろう…
それに伯父や伯母もずっとではなくとも
お婆ちゃんのことを大切に思っている同志で
介護という名目で私は実家に住めてる、
時にはガソリン代としてお金を受け取ることもある

なんだかんだで何も文句は言えない環境を
自分で選んでいるんだから
疲れたとか言ってはいけない

仕事ならまだしも
家事や介護、育児っていう
生活そのものを疲れたと放棄したら
全てが成り立たなくなるんだから
疲れたなんて思うことすら
ダメなんだと

そう思い込ませて今まで生きてきたんです。


(話が長くなりすぎて申し訳ないです笑い泣き)





でもね、正直言って
若いわたしには働きながらの家事や介護も
お婆ちゃんを取り囲む伯父伯母が近くにいる生活も
もう限界だったのです

結婚が決まるまでは
結婚に対する考えも前向きではなくて
だってこのまま結婚したら
わたし一生家族の世話だけの人生になると思っていたから

一度家族からも彼(今の主人)からも離れて
職場の近くで一人暮らしでもしようかと考えてたところに
これまた突き落とされる大事件が起こり

でもそのおかげで色んなことが吹っ切れて
今の主人と結婚し(何年たっても子どもが引くくらいラブラブですラブラブ)
介護や実家の環境からは離れて
大好きな人とだけの静かな環境での生活ができています


上矢印上の大事件もそのうち書きますねw




そんな訳で妊娠7ヶ月の頃に
主人とともに実家を出て
たまにお婆ちゃんに会いに行くと
私、なんであんな必死に介護してたんだ?
って思うほどに元気に迎えてくれて

もうすぐ、お婆ちゃんがなにより楽しみにしていてくれてた
曾孫に会わせることができる!!
と思っていた矢先

曾孫誕生の1ヶ月前に
突然お婆ちゃんは旅立ちました。




もうすぐだったのに

大好きなお婆ちゃんが曾孫を見て
喜ぶ姿が一目見たかったのに


悲しくて
残念でたまりませんでした。




…が、


秋に出産してすぐに寒くなり
その後コロナもやってきて

もし、お婆ちゃんが生きていたなら
私は冬になったけど
お婆ちゃん寒くないかな?
眠れてるかな?
夜中に喉が乾いたりしてないかな?
オムツが漏れて冷たい思いしてないかな?
とか

感染症が怖いとかではなくって

世間が騒いでることを
テレビやラジオのニュースでしか
情報を得られないお婆ちゃんが
過剰に反応して不安になったりしてないかな?

とかきっとそんなことで
自分の生活が回らないほど
おばちゃんを未だに
心配していたと思うのです笑い泣き


だからね、あの時限界を感じ
離れてみて本当に良かった


おばちゃんも最善のタイミングで
わたしをおばちゃんから
卒業させてくれたのだと

全てがわたしのために
起きたことなんだと今なら思えます。





結局伝えたいことが分かりませんよね笑い泣きアセアセ



要するに

『介護、家事、育児』
これらを労働とは一切認めないわたし

『寝るのが好き、寝たい』
そんな怠慢は許さないわたし

『疲れたなんて思ってもみなかった』
生活そのものである家事や育児を疲れたと言うどころか、思ってすらいけないと決めていたわたし




昨日のベッドで眠れるしあわせ~ハート
からのお婆ちゃんとの記憶で



気付いて認めて手放さないと
ずっと辛いことの繰り返しな観念あるよ~
って教えてもらいました





ちょっと内容が過去に引っ張られて
諄くなっちゃいましたね



空でも見上げてスッキリしましょかな爆笑





それでは本日も
お読みくださりありがとうございましたパー飛び出すハート