昔読んだ、東大の教授、野矢茂樹氏の書いた評論文、
「恥ずかしい話」を思い出しました。
人は、どういうときの恥ずかしいと思うのか。
人は、失敗したときに恥ずかしいと感じる。
難問を解くのを失敗しても、世界記録に挑戦しても失敗と感じない。
劣等感につながる失敗をしたときに恥ずかしいと感じる。
劣等感につながる失敗をしても、人の目がなければ、恥ずかしくない。
周囲の共感を得られないような失敗をしたとき、恥ずかしいと感じるのだ。
恥ずかしさとは、とても人間的な感情なのだ。
このような内容だったと思う。
以下、今日の健康診断の話
健康診断に行くと、まず身長・体重から。
いつも思うのですが、なんで尿検査からしてくれないのかな~
その分、体重が数グラム違うと思うのは、私だけでしょうか。
やっぱり、もっとジムへ行く回数増やさなくては、と焦る 。
視力検査は、まだ2.0ありました。
うしし 。
結膜浮腫になったり、ものもらいに、しょっちゅうなるにですが、
視力だけは昔から良いのです 。
スムーズに血液検査の注射も済み 、
健康診断が進むにつれ、よし、今回もいい調子と思った
のも束の間・・・・
し、しまった~
と大汗 。
心電図の項目を見ると、
「ストッキングは全て脱いで頂きます」と。
ロングスカートにすれば良かった~
夏は結構マメにしていたのですが、冬になって怠っていました。
(何を?目的語はここでは書けません)
もう帰りたい衝動に駆られながら、どうぞ、視力が衰えたお年を召した
看護婦さんに当たってください(すみません)、という祈りもむなしく、
30代くらいの美人な看護婦さんに当たってしまったのでした。
ちーん
「ちょっと冷たいですよ~」なんて言われながら、
足首に機械?をはめる際、チラッと見られてしまいました。
ああ、顔から火が出る とは、このようなことだな、と実感 。
野矢茂樹さん、これは劣等感とはちょっと違うように思います。
これは「周囲からの共感を得られないような場合」に入りますか?
「周囲からの」というより、美しい看護婦さん一人からの視線でも、
こんなに恥ずかしいです 。
最後の診察でも何事もなく(たぶん)終わったのですが、
心ここにあらず、でした。
冬の健康診断は、気をつけなくては、と寒い中帰宅しました 。