その学力不足無視した自分の子どもたちへの父親の大学進学無理強い

― 自分の劣等感を晴らすためにその学力不足無視して自分の子どもたちに自分のことは扨て置いた父親の大学進学無理強い大号令 ―

 

1 父親の顔が見たい

父親は、

・最終学歴はかつては東洋語学専門学校という校名であった熊本語学専門学校という旧専門学校令による私立の専門学校卒業である。

・その専門学校は戦後の学校教育法では新制の短期大学にしかならず、一時期、熊本短期大学という校名であって、その卒業の時には、最終学歴が大学卒業にはならないとは不知であった。熊本短期大学は、その後しばらくして、戦後約10年ようやく、商学部だけを研究と教育のための学内最大組織としての学部を有する4年制の大学になった。

・その専門学校卒業の時に、旧教員免許令で新制高等学校の英語教員免許取得した。

・戦後10年して、米国との関係がある日本バプテスト連盟というキリスト教の宗教教団に加盟の佐賀県内所在キリスト教会の牧師から米国所在のキリスト教系大学の大学院への留学生試験受験を勧奨され、受験のために学歴や職歴など履歴を記載した書類と最終学歴である旧専門学校令による専門学校の卒業証明書を揃え、以上のキリスト教会の牧師を通してキリスト教の宗教教団に提出したが、以上のキリスト教会の牧師を通してキリスト教の宗教教団から、この留学生試験が米国所在のキリスト教系大学の大学院への入学を前提としているので、最終学歴が旧専門学校令による専門学校卒業で、大学卒業ではないので、この留学生試験の受験資格がないと通告される。

・それで、キリスト教会の牧師となり、それで、家族を養うことにした。

・その後、社会福祉法人を設立し、その理事長となり、この社会福祉法人開設の保育所を開所し、その所長となった。

2 上記の父親の子どもたちの顔が見たい

 (1)長子長女

 ・現住県内で最も偏差値が高い県立高等学校に進学するも在学中の成績が不振で、成績順位が同一学年の生徒たちのうちで中の中の程度であった。

・それにもかかわらず、父親は、大学浪人して勉強したら、この長女が県下第一位のこの高等学校に入学したことを理由とした医学部入試合格の可能性を盲信し、戦時中の私立専門学校進学の際に実は満州国内所在の医科大学を志願していた父親に言われるままに、長女は、国立大学の医学部に、浪人3年目からは密かに私立大学医学部に受験し、悉く不合格になり続け、予備校通学して7年間の大学浪人を行うが、父親は、長女に大学浪人5年目で無理矢理国立大学文系に方向転換させ、地方の国立大学教育学部に入学する。

(2)次子次女

・次女は、小学校在学中から一貫して学業成績が下位で、進学した大学もFランキング小規模私立女子大学であったが、そのFランキング小規模私立女子大学でも、学業成績が下位のままであった。

・上記の父親がその小規模私立女子大学附置の大学院修士過程への次女の入学を望み、次女の学部での卒業論文の指導教員の許に行き、次女の大学院進学を強請するが、大学院での指導教員にもなるその指導教員は、父親に次女の学力不足を率直に披露し、大学院の教育課程での講義や演習だけではなく、修士論文作成が無理であることを直言するが、それに対して、父親は、大学院卒業後、次女を自分の保育所で、保育士としてか事務員としてかは不明であるが雇用する旨をその大学教員に口頭で述べたが、父親に対して、その大学教員は、大学院進学後、次女の受講の様子を見て、次女が大学院の教育課程での講義や演習に付いて行くことができないし、それが、大学院の教育課程での講義や演習で他の受講生の受講を妨害していると判断すれば、その際は、無条件で、次女を退学させ、引き取ってもらうことを約束した上での次女の大学院進学を認めた。

・しかし、次女の大学院での修士論文指導教員でもあるこの大学教員は、次女が大学院進学して間もなく、その次女と共に大学院の教育課程での講義や演習の講座を受講し、その次女の演習での発表を直接に見た他の大学院生たちから、「先生は、あの子と私たちを同じ評価にするの ? 」と問われた。この大学教員も、修士論文作成以前の問題で、次女のこれ以上の大学院在学は無理で、成績評価で、C以上の評価を付けることができないと即断し、次女の父親に連絡し、大学院進学に当たっての以上の約束を実現してもらうことにした。

・この大学教員から架電を受けた次女の父親は、すぐに、この大学教員の研究室を訪ね、この大学教員から、上掲の事情を聞いた。次女に対して、その父親は、自分の保育所を手伝って欲しいというお為ごかしの理由を述べ、次女に大学院を中途退学させ、実家に連れ帰った。父親は、次女を保育士ではなく、庶務係として、保育所の電話番にし、次女は60歳まで電話番をした。

(3)三子長男

・実家現住県内所在の国立大学教育学部附属中学校に進学したが、長女と同じ上記県立高等学校進学を志願し、入学試験を受けたが、不合格になり、他県所在の私立高等学校に入学した。

・その高等学校卒業後しばらく社会人として働いていたが、父親に言われるままに、米国の大学の大学院進学を志願し、そこでの博士学位取得を目指し、先ずは、入学志願者全入の公立短期大学に入学したが、そこで、同級生の米国人女子学生との恋愛で、妊娠させてしまい、大学進学と大学での学位取得を諦め、働くことにした。父親が長男に米国大学へ進学とそこでの博士学位取得を望んだのは、長男を日本国内の大学に入学させようとする場合、長男には、旧七帝大、旧官立大学、地方の国立大学、公立大学、偏差値が高い大規模私立大学に進学することができる学力がなく、精々、偏差値が低い大規模私立大学に入学することができる学力しかないことが分かっていて、長女の場合で分かったが、大学浪人して予備校に何年通学したとしても、高等学校時代の成績よりもあまり伸長しないことが分かっていたから、そして、牧師をしている自分の教会の教会員のなかで旧七帝大や旧官立大学の大学院に在学中である大学院生と自分の長男と間の学力格差が教会員たちに明白になるからである。