「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉と小規模私立女子大学について

 最近、九州のキリスト教系小規模私立大学、そのたいていは女子だけを学生とするキリスト教系小規模私立女子大学であるが、九州のキリスト教系小規模私立女子大学でも、定員割れが進行し、毎年度、定員割れになる程度に新入学生の実数が漸進的に減少している。単年度の新入学生の実数が定員の半分以下になり、それが大学の学年である4年間続き、その結果、大学の在学生の実数が大学の所定の総定員の半分前後以下になった時点で、大学の理事会は閉学か否かの決断を迫られることになる。

 定員割れが進行し、毎年度、新入学生の実数が漸進的に減少しているキリスト教系小規模私立女子大学において、最近、奇異なことが散見されるようである。大学の学長は、法制度的には自動的に、大学を開設している学校法人の理事会を構成する理事の1人になるので、キリスト教系小規模私立女子大学でもたいてい、その学校法人の規則において、学長はクリスチャンであることという規定がある。学長に任命されるには、クリスチャンである必要がある。

ところが、最近、キリスト教系小規模私立女子大学では、学校法人の理事会の構成員である理事の1人としての事務局長や事務総長などという職名を有する幹部事務職員が、すべての大学教員たちを事務職員や自分の意のままに動かすために、事務職員や自分の意のままに動いてくれるようにと言い含めて元々クリスチャンではない大学教員を急遽クリスチャンにして、学長にするという大それたことが行われているようである。その際、クリスチャンにする方法として、1)クリスチャンになれば、本来的にはクリスチャンではなかったそれまでの生活とは著しく相異する人生を送ることになるが、そのことについては一切教えないままで、意味が分からないままに、言葉だけ字面を追ってその文字を音読しての信仰告白を行わせ、2)洗礼を受けさせ、3)一定のキリスト教会の会員にし、4)その教会の宗教的集会に少なくとも毎週日曜日だけは出席させ、5)その教会に毎月一定金額の献金を行わせるということである。これらは、事務職員がその偽クリスチャンの学長に教え込む。そのようにして、幹部事務職員や事務職員たちからリモコン操作されて行動し、幹部事務職員や事務職員たちの意を体して部下の大学教員たちに発言し、下令する学長が誕生している。

キリスト教の聖典である聖書は旧約聖書と新約聖書に大別されるが、旧約聖書と新約聖書から構成されるキリスト教の聖典である聖書のどこにも、クリスチャンとは、1)言葉だけの信仰告白を行い、2)洗礼を受け、3)一定のキリスト教会の会員になり、4)その教会の宗教的集会に少なくとも毎週日曜日だけは出席し、5)その教会に毎月一定金額の献金を行う者であるとは記されていない。これらの5つの点を充足しているので、自分がクリスチャンになっていると感じている偽クリスチャンの学長はいないと思うし、仮定として、これらの5つの点を充足している者がクリスチャンであるという考えは誤解である。繰り返すが、キリスト教の聖典である聖書は旧約聖書と新約聖書に大別されるが、旧約聖書と新約聖書から構成されるキリスト教の聖典である聖書のどこにも、クリスチャンとは、1)言葉だけの信仰告白を行い、2)洗礼を受け、3)一定のキリスト教会の会員になり、4)その教会の宗教的集会に少なくとも毎週日曜日だけは出席し、5)その教会に毎月一定金額の献金を行う者であるとは記されていない。

 そのような神をも恐れぬ大それた事を行って大丈夫であろうか。騙し事で選任された偽クリスチャンの学長は大学を代表する立場で、大学を代表して、高校生たちや浪人生たちを受け入れる立場にあるが、自分も自分が本当はクリスチャンではないと分かっているにもかかわらず、クリスチャンであるという前提の下で、偽クリスチャンであるという学長は当該のキリスト教系小規模私立女子大学に真剣に入学を希望し、受験する高校生たちや浪人生たちを大学を代表して騙していることにならないであろうか。偽クリスチャンの学長を仕立てたとして、その結果は、大学の今後の趨勢は天網恢恢疎にして漏らさずになるように考えるが、如何であろうか。そんな大学はすでに末期症状担っている。