小規模私立大学には大学受験の高校生も入学したくないし、大学教員も就職したくない。

 

 日本では、小規模私立大学は、今日では、男女共学ではなく、たいていは女子だけを学生とする小規模私立女子大学である。大規模私立大学はたいてい男女共学である。

 小規模私立女子大学には、大学の先生も進んでは就職したくない。国立大学や公立大学や大規模私立大学を定年退職した先生であれば、第2の人生として再就職して数年で定年退職になる小規模私立女子大学にも就職するのを容認するであろう。しかし、第2の人生としても、再就職して数年で定年退職になるとしても、他の国立大学や公立大学や大規模私立大学に再就職することができるという僥倖があれば、小規模私立女子大学には就職したくないし、就職しない。他の国立大学や公立大学や大規模私立大学に再就職することができないので、やむなく、小規模私立女子大学に再就職する。このことは、大学受験の高校生も同じである。大人は遥か昔の大学進学時の高校3年生の時の進学先大学の選択基準をすでに失念している。かつて高校3年生の時には、国立も公立も私立も大学の規模の大きさが進学先大学の第1の基準であったであろう。

 大学の先生も就職を嫌悪する小規模私立大学にはたいてい、奇異で奇怪な人生を辿ったおおよそ真面な人生であるとは言えないし、真面な大学の先生の人生であるとは言い難い大学の先生がほとんどである。小規模私立大学の少数の先生は、真面な人生を歩んできた老先生とこれから真面な人生を歩む大学院卒業してすぐの若い先生に大別される。小規模私立大学でもそのような少数の先生たちはたいてい、旧七帝大や旧官立大学の大学院で間に海外留学までして5年前後以上修学し、修士の学位か、修士と博士の両方の学位を取得しています。小規模私立大学のそれ以外の大多数の先生たちは、既述の通り、奇異で奇怪な人生を辿ったおおよそ真面な人生であるとは言えないし、真面な大学の先生の人生であるとは言い難い大学の先生である。そのような先生の特徴は、大学の先生になる正規の資格である最低限度の大学学部卒業後の2年間という大学院修学だけとか、そのわずか2年の最低限度の大学院修学もないとか、修学したわずか2年の最低限度の大学院が国立でもなく、公立でもなく、有名私立の大規模私立大学でもなく、新設の無名の小規模私立大学の大学院であるとか、新設の無名の小規模私立大学の大学院で最低限度の2年間だけ修学し、それ以後、宅配、タクシー、接客水商売、スーパーレジ打ち、訪問販売、塾などで生活のためにアルバイトを行い、それで生活費を稼ぎ、多数のアルバイトのために研究ができないし、学会発表や研究論文執筆を行う時間がなく、ただ無為のままに時間や月日が過ぎ去り、それが大学の先生としての定年年齢約10年以前の55歳前後になって初めて正規の大学教員として採用されたとかなどである。そのような人生の落ちこぼれ的な小規模私立大学のたいていの先生たちから、小規模私立大学に入学した新入学生たちは学ぶことはあるとは思えない。現在の日本で、倒産閉学が起こっている大学とはすべて、小規模私立大学である。現在の日本では、小規模私立大学以外の国立大学や公立大学や大規模私立大学には、多数の大学受験の高校生たちが受験し、不合格者が多数出ている。福岡の大学でも最近あったが、小規模私立大学では、受験生の人数は大学の定員に達していない。小規模私立大学では、受験生を全員合格にしても、定員割れが起こり、それが数年続くだけで、閉学倒産することになっている。

 参考までですが、無名の小規模私立大学の2年課程新設大学院でわずか2年修学した小規模私立大学の先生たちとは相異して、国立大学(旧七帝大、旧官立大学、地方国立大学)や公立大学や大規模私立大学(偏差値が高い大都市所在の有名な大規模私立大学、偏差値が低い大規模私立大学)の先生たちはたいてい、旧七帝大や旧官立大学の大学院で間に海外留学までして5年前後以上修学し、修士の学位か、修士と博士の両方の学位を取得しています。

 国立大学(旧七帝大、旧官立大学、地方国立大学)や公立大学や大規模私立大学(偏差値が高い大都市所在の有名な大規模私立大学、偏差値が低い大規模私立大学)の先生たちと小規模私立大学の先生たちとでは、学歴の点で決定的に格差があり、相異しています。