入試直前の受験生や親たちへの小規模私立大学の不可解な個別進学相談会について

 

 最近、小規模私立大学では、入学者の定員割れが何年にも亘り深刻で、定員の半分しか充足していない。そのような小規模私立大学では、できるだけ、大学受験の高校生や浪人生たちを入学させようとして、いろいろな型体の入試を実施している。福岡でも全国どこでも小規模私立大学では、それらの各々の入試実施日の直前に、受験生やその親たちを集めて、「個別進学相談会」という名称の会を行なっている。しかも、その「相談会」は、当然に予約制で、各々の受験生やその親たち毎のいわば個別の進学相談会である。単純に考えて、その「相談会」では、大学側と各々の受験生やその親たちとの間で行われ、大学側と各々の受験生やその親たちとの間での各々の受験生やその親たちの個別的な相談の内容とこの個別的な相談に対する大学側の回答は、他の受験生たちやその親たちには公開されない。その非公開は、親たちのためというよりも、普通に考えれば、主としては、各々の受験生の大学卒業後の将来への希望というプライヴァシーに関わることであるという理由によるであろう。しかし、その非公開が受験生のためではなく、主として、その親のためということであれば、非公開の適法性や正当性や妥当性などがなくなるのではないのか。大学を選ばなかったとしたら、簡単にどこかの大学には入学することができる時代でも、受験生たちのなかには、極めて入学しやすく、何年にも亘って定員割れも大幅に起こしている小規模私立大学(そのような大学は、旧七帝大、旧官立大学、地方の新制の国立大学、公立大学、大規模私立大学ではなく、小規模私立大学だけであるが)にも、ペーパーテストでも、面接でも、特技でも、兎も角も大学入試で合格することができなくて、入学することができない浪人生や現役生がいる。その受験生が女子であれば、親としては1年でも早く兎も角大学に入学させたいし、1日でも早く大学入学を決定させたい。そのためには、親は何でもする。「入試直前の受験生や親たちへの小規模私立大学の不可解な個別進学相談会」は、そのような親の希望に応じて、小規模私立大学に対する親の具体的好意開陳の場ではないのか。小規模私立大学の何年にも亘る著しい定員割れや今後も果てしなく続く際限のないかなりの定員割れは、旧七帝大、旧官立大学、地方の新制の国立大学、公立大学、大規模私立大学の豊かな財政と留保とは相異して、小規模私立大学の財政と留保をその自転車操業的経営のために数年で、小規模私立大学の経営を大学生の最低限の在学期間である4年乃至はその後の数年で崩壊させる。「入試直前の受験生や親たちへの小規模私立大学の不可解な個別進学相談会」は、小規模私立大学にとっては、違法も適法もない、たとえ違法であったとしても何でも行なって生き延びようという意思の社会への表明であるように思われる。「入試直前の受験生や親たちへの小規模私立大学の不可解な個別進学相談会」は、小規模私立大学が、受験生たちの親たちに対してその各々の受験生に相応する個別的な入学方法を示すのを目的としているように考える。特定の入試型体の入試実施の「直前に」その型体の入試を受験しようとする受験生たちやその親たちを集め、各々の親や受験生毎に「個別的に」進学相談会を実施するのであれば、「直前に」と「個別的に」という2つものプレミアムが付かないその他の型体の入試である一般入試や推薦入試などを真面目に受験して合格しようとする受験生たちの誠実さを歪めてしまうのではないか。大人は子どもの模範になる行動や言動を行うべきで、しかも、大学という学術技芸の研究と教育を行う理性の府が現実の社会の矛盾を具現させてしまうのは社会における大学の在り方の理想に悖る行為であると言わざるを得ない。