図書館で嵐山孝三郎氏の『人妻魂 ひとづま・だましい』を見つけた。もともと編集者として鍛えた人だから、読者の関心をぐっと引っ張る。たくさんの代表的な人妻の話を集めた一冊で、週刊誌的な文章でいながら、読後感は結構真面目なものだったりする。著作権侵害になるのだが、部分だからお許しいただけると思いご紹介する。この人はいつも面白い。
(278)アナーキストの人妻
神近市子
テレビのトレンディードラマでは男女の三角関係・四角・五画関係まで登場し、結婚してもお互いに恋人を持ち、一年で離婚なんてのはごく普通になりました。しかし、それらの関係は薄っぺらで生きる情念にかけています。それに対して、昔の「妻」という言葉のひびきは、一種妖しげな気配をしのばせています。
アナーキーな自由恋愛を得意としたのは、明治・大正のアナーキスト・社会運動家たちでした。結婚という制度で、妻が夫の言いなりになるなんてのは、アナーキストが一番嫌ったことで、男も女も自立して恋愛はやりたい放題でした。
その場合、男はダンディーなる知識人で、外国語も少しは話せなければいけない。けれども漱石タイプの謹厳実直な学者先生はだめで、チョイとくずれている方がいいらしい。
不良系のリベラルな知識人がもて、勉強ができるがり勉系の秀才がもてないのはいまと同じです。
香川県生まれで、東京外語学校在学中から平民社に参加した大杉栄は人気者のひとりでした。大杉は吃音者(きつおんしゃ)でしたが、そのボクトツさとオシャレななりで、やたらと女たちにもてました。オールバックにした髪型もかわいいし、「近代思想」という雑誌を発刊して、フランス語やエスペラント語の講習会を開いていましたから、インテリ女性の「あこがれの人」でした。保子さんという奥さんがいましたが、自由恋愛主義の女性たちはほうっておきません。
婦人記者として名をなしていた神近市子(かみちか・いちこ)は、「サロメのような赤い唇と大きな目」の女性でした。文壇の中でも名をなしつつあった大杉に市子は接近し、第二次「近代思想」編集を手伝ううちに、肉体関係を持ちました。
大杉の妻保子は三歳上の姉さん女房で、病身ながら、雑誌の広告取りや販売の手伝いをしてきた糟糠の妻でした。もとは深尾というアナーキストの愛人であったのを、大杉が奪うようにして結婚したのです。アナーキストながら、古風な性格で夫に従う良妻でした。
妻のいる男をものにするのは、ただひとつ、「妻と逆のことをする」のがよいのです。保子は放っておいても市子とは正反対の女ですから、大杉をものにするのは簡単でした。
ところが、大杉には、市子のほかに伊藤野絵(のえ)という愛人がいたため、ノラリクラリとして、どっちをとるのかはっきりしません。市子は、大杉の自由恋愛論に同調しておりましたから、頭の中では「これでいいのだ」と考えるものの、そこは女ですから「はっきりしてほしい」という気持ちがつのりました。
それに、大杉は都合がいいときだけ、市子にせびりに来ますので、とうとうぶちぎれてしまったのです。そのあげく、「大杉を殺す」と思いつめるようになりました。活発な彼女は、カッとなったら、すぐ行動に出ます。市子は長崎県で漢方医の娘として生まれ、三歳のとき父と死別し、他家に預けられて育ちました。激しい気性でガンバリ屋です。直感力と語学にすぐれ、男性記者に伍して活躍する女でした。情熱的で血の気が多い。
大杉は市子の様子を見て、「本当に殺される」と感じました。市子の着物の大半は、ほどんど質のかたに入り、大杉の生活費になってしまいました。
かくして、「日陰の茶屋」事件という傷害事件が起きました。事件のおおよそは、大杉栄の『自叙伝』に書いてあります。
夜、日陰の茶屋で大杉がうとうとしていると、市子のカラダが大杉のふとんに入ってくる。市子は泣きそうになって「ね、いいでしょう。許してくださいね。ね」とすがるのに、大杉は、市子のカラダをしりぞけた。
「ああ、彼女の肉の力よ。ぼくは彼女との最初の夜から、彼女の中にそれをもっとも恐れ、かつもっとも引かれていたのだ。そして彼女は、そのヒステリックな憤怒のあとに、その肉の力をもっとも発揮するのだった。しかし今晩はもう、ぼくは彼女のこの力の中に巻き込まれなかった」
どっちが女かわかりません。大杉は仰向けに目をつぶって息をこらし、市子が動いたらすぐに立ち上がれるように構えていたものの、午前三時ごろ、首を五寸の短刀で斬りつけられました。油断していました。
頸動脈をはずれて血がふきだし、廊下へ走って、便所の前でつまずき、呼吸困難となりました。大杉の傷は左アゴ下三センチのところに、長さ一・八センチ、深さ二・五センチでした。
翌日の東京朝日新聞は「大杉栄 情婦に刺さる。凶行者は婦人記者、神近市子。相州葉山での惨劇」として六段抜きで報じました。
これは大杉に非があります。一度ねんごろとなった愛人と泊まって、「セックスしましょう」とせまられて断ったりするから、こんなざまになるのです。
市子はこの事件によって二年間の服役後、大正九年に鈴木厚と結婚し、三児を産みました。鈴木と離婚後は、翻訳で生計をつないで子を育てました。かりに神近市子と大杉栄が結婚したら、大杉は、生涯尻に敷かれたと思われます。
大杉は三十七歳で、特高のテロリストに殺されましたが、神近市子は衆議院議員を四期つとめて、九十三歳の長寿をまっとうしました。
神近市子 かみちか・いちこ(1888~1981)
長崎生まれ、平塚らいてう主宰の「青鞜」に参加した先駆的女性。恋愛のこじれから大杉栄を殺害しようとして失敗。出獄後はプロレタリア文学運動に入る。五三年社会党から衆議院議員に当選、四期にわたって人権運動に尽力。九十三歳で没。著書に『私の半生記』。
引用本:『人妻魂』嵐山光三郎 マガジンハウス刊 2007年
