(289)暴れだした孟宗竹
『緑を守る』とか、緑を増やすという言葉は、日本ではとても良いイメージがあります。しかし専門の立場としては、「緑は破壊者だ!」との印象が強い。最近増えた、東京23区の空家などを見かけると、雑草や樹木が繁茂し、とんでもない事になっています。お住まいの家屋でも定期的に草を除去しないと家屋は破壊されます。関東地方では空地を放置すると雑草が増え、周囲に迷惑をかけるため、法律で定期的に刈りとる規則があります。アンコールワットの遺跡は、近くにもっと立派な遺跡が沢山ありますが、ジャングルに侵され、改修不能となっています。緑は怖い存在です。
現在、日本国内で脅威となっている植物があります。この国には帰化植物が1200種ほど入っていますが、森林の中には殆どありません。大きな理由は侵入した帰化植物が日当たりのいい場所を好むからです。森林の中では、下草、林床はあまり日が差さないので、日陰を好むような植物しか生えません。
他にも危険な植物はありますが、本州から九州にかけて、ガン細胞のように日本の森林を猛烈に犯しているのが孟宗竹(もうそうちく)です。大抵の方が「え?」といい、竹林は美しいし、タケノコも美味しい、と驚かれるのですが、モウソウチクは、日本本来の景観ではありません。孟宗竹は中国原産の植物です。
モウソウチクの来歴
モウソウチクはいつ日本に持ち込まれたのでしょうか。いくつかの説がありますが、最も有力で由来がはっきりしているのは、江戸時代に薩摩藩が中国から取り入れたものだと思っています。1736年、薩摩藩第二十一代藩主、島津吉貴(よしたか)の時代に取り寄せこれを別邸に植えています。その後、江戸屋敷に移され、各地へ広がったと思われます。
江戸から関東に広がり、加えて薩摩からも広がったのでしょう。江戸は参勤交代で各地の大名が集まります。「珍しいものがある」と聞きつければ「ぜひわけていただきたい」となったのでしょう。18世紀以降、モウソウチクは日本各地の、最初は屋敷や寺院の庭に、そしてだんだんに庶民の里山や川岸に植えられ竹林となっていった。2007年に福井県の一乗谷に行ったことがありますが、信長に滅ぼされた朝倉城の遺跡の裏山には、モウソウチクが広がり、杉林の中に侵入して杉木を押しのけるように、圧迫するような広がり方でした。実は江戸時代後期に、朝倉氏の遺跡が絵巻にされ、近くの博物館に収められていますが、この絵を見ると裏山はマツとモミジと雑木が描かれており、モウソウチクは一切描かれていません。つまりこの絵が描かれた江戸時代以降、誰かがモウソウチクを植え、これが今は斜面を這い上がっているといわれます。遠くからでもはっきりと分る相当な面積を占めています。
福井県には一時、紫式部が住んでいた武生(たけふ)という土地がありますが、北陸線に面した山々にはモウソウチクがはびこり、低い山の鞍部まで達しています。このような現象は福井県だけに限らず、関東から九州まで、里山は侵されているといってのいい。新幹線でも東京から九州まで移動中、車窓から目にできる山らしい緑の部分はどこでもモウソウチクが目につきます。
いまは里山ブームで、里山は奥山と対比されていますが、これは京都大学の四手井綱秀(ひでい・つなひで)によって広められました。言葉は江戸時代にもあったものの、広がったのは彼が使いだした1970年代以降です。
里山と奥山の間に、外山だとか、端山、そういう概念がありまして、奥山は猟師や木工師などごく一部の人を除いた、非日常の場でした。野生生物などは、人や犬がこわくて、外山を越えて里に進出してくることはごく少なかったのです。
モウソウチクが暴れだした理由
なぜモウソウチクが広がって暴れだしたのでしょうか。
モウソウチクは、昭和30年代ぐらいまでは、人の管理下に置かれ、手入れが非常に良かった。利用も多かった。たとえばタケでつくる竹籠、ざるなど。昔、買い物カゴなどにも使われていました。また家の土壁。これは泥を塗っていく前に、かならず竹を格子状に編んで、そこに土を塗りこめていった。あるいは竹垣やたけのこ、竹は余すところなく利用されていたのです。
日本では古くから『竹取物語』のようにタケを刈って売る人たちがいました。マダケなどが日本人の生活に欠かせず、その需要があったからです。また七夕にタケを立てるのは、神の依代(よりしろ)としての役目があるからでした。七夕の発祥地である中国ではこのような風習はありません。現代のどんな現代ビルであっても、起工式にはタケを四方に立てて囲んだ神の領域を作り、地鎮祭が行われることからも、神と結びついたタケの存在がわかります。
タケが広く使われていた証拠に、昔は農家や一般家庭にも、タケを割る道具があり、ちょうど丸い金具で真中が十字になっていて、それをタケの上端にのせ、ぐっと力をいれると、タケがバリバリと折れて行く。その竹割機などの道具が田舎にはあって、タケを割り、人々が利用していた。ところが、昭和40年代からの高度成長期になると、タケが利用されなくなりました。
第一の理由は段ボールの普及だと思います。昔は物を入れる容器としてタケの籠はとても都合がよかった。段ボールが普及してくると必要とされなくなった。さらにプラスチックが登場し、安くて美しく、しかも安価な製品がタケに代わり、タケの需要は急速に失われていったのです。
加えて燃料の革命も影響してゆきます。田舎では、炊飯や風呂を沸かすのに、薪を使っていたし、囲炉裏にも薪や炭を使った。山を手入れして、要らなくなった枯れ木を採ったり、邪魔な間伐材を切って、薪や炭にした。タケは薪としても使われました。里山は良く手入れされていました。
高度成長期以前は、日本の森林からの木材で家を建てていましたが、昭和40年代以降は、外国から買った方が安くなり輸入材が増えた。そのため林業が衰退し、山は手入れされなくなり、現在では山村の高齢化や過疎化が進み、さらに里山の手入れがされない。それとともにモウソウチクはコントロールを失ったのです。
危惧される問題
昔は余分なタケは切り倒し、一方ではタケノコを採っていました。適切な間隔でタケが茂っているのは美しいものです。静岡県あたりではコントロールができず、茶畑の中にまで侵入してくる。やむを得ず茶畑側で退治するのですが、地表を刈っても駄目で、地中深く繁殖し、10メートルとか20メートル離れて、ヒョイと顔をだします。縦横無尽といっていい。加えて温暖化があります。孟宗竹はあたたかいところの方が育ちます。日本でも北海道では育ちませんが、これは寒いからであって、温暖化するとどうなるか分らない。
モウソウチクを森のギャングと称して、手入れと管理に取り組むボランティアや団体は日本にも数多くありますが、竹林の面積からすると無理があります。このままでは、関東以西の里山はモウソウチクに占領されて、日本本来の景観が破壊されるのではと心配しています。竹林の中では他の動植物が共存できないのです。
竹林は根がびっしりと張るため「地震のときは竹林に逃げ込め」といわれるのですが、避難場所として有効なのは平地での話です。タケの根はあまり深くないのです。木と比べると浅くせいぜい50センチメートルほど、斜面の竹林は雪崩のように流される危険があります。特に雨が降った後の地震では危険が多い。竹林の根の下まで十分に水を含んでしまうと、そのまま流されてしまう。数年前に四国で発生しています。台湾では2010年の地震で竹林の地滑りが多かった。
さらに心配なことは、タケはいつも茂っているわけではなく、120年に一度、あるいは60年に一度花を咲かせ、枯れてしまう。もしかすると2030年代には全国で一斉に開花し、枯れてしまうかもしれません。枯れたタケは風化して茶色くなり、無残な姿となり、これが10年も20年も続くことになります。しかも雨によって地滑りが多発する。私は新幹線の線路上にタケによる土砂崩れが発生することを懸念しています。
モウソウチクの災害対策
植物による災害は多くの方は考えていません。しかし起きてしまったら取り返しがつきません。モウソウチクの手入れは国土保全、災害防止の観点から、国家的に取り組む必要がある。
タケの有効利用を考える必要があります。案外割りばしがいいと考えています。タケの割り箸は台湾では古くから使われています。現在は中国本土から二百数十億膳ほど輸入されていますが、漂白されているためとても弱く薬品が残って危険です。日本でタケの箸をしっかり作ればいい。タケは切ってそのまま使うのではなく、何年か寝かせて油抜きすればよい製品になる。これをどんどん消費して貰う。バイオ燃料も可能です。しかしアルコールを得るためには蒸留することになり、燃料が必要です。そうするとタケのような不要なものを伐採して使うのが適切でしょう。炭素を含んでいるのでエタノールもできるでしょう。
また一部の研究では、鉄筋にタケを張り付けるとものすごく強度が増し、これは特許がとられています。タケを建築材として使うなど、知恵が必要です。何よりも大事なのはたけのこを無料で採って貰うことです。地主さんがタケノコのシーズンにどうぞおとり下さいと許可していただければ随分と違うでしょう。
『植物からの警告』 湯浅浩史著 ちくま新書 2012年刊
