(316)金比羅参り
金比羅神は、元来はインドのガンジス川に住むワニが神格化されたものだと、本には書いてありますが、ホンとかね?という印象もありますが、ま、昔の日本は明治維新までは、神仏習合思想で、まあ、なんでもOKでしたから。
本によると、金比羅神が鎮座する象頭山(ぞうずさん)は、瀬戸内海を航行する船にとって目印となることなどから、航海の守護神としての信仰が高まったと書いてあります。
そのうちに、航海だけでなく、あらゆる生業の守護神となり、その他、疫病除け、火難除け、盗難除け、剣難除けなど沢山のご利益を受けられる神として広く信仰されるようになったといいます。
金比羅船
金比羅参りの出発地は大阪でした。江戸は勿論、東海道、中山道、奥州からの参詣人、京都をはじめ畿内からの参詣人もほとんどが大阪に出て、そこから金比羅行きの船にのったそうです。「金比羅船」は、淀屋橋からが多かったため、そこに近い道頓堀、日本橋、戎橋(えびすばし)、長堀、土佐堀には参詣人専用の「金比羅宿」が軒を連ねていたそうです。
この宿は金比羅船と連絡していたそうで、参詣人が次に泊まる宿をも紹介していたそうです。現代の“るるぶ”とか“JTB”といった所でしょうか。
なにしろ金比羅船は「讃州金比羅船」などと染め抜いた幟(のぼり)をなびかせ、瀬戸内海を渡り、大抵は丸亀港につけたそうでなんか威勢がいい。
大阪から丸亀まで、海上ざっと五十里、普通は三日三晩かかったとか。あのころの船ですから一度、追い風に乗るとシュラシュシュシュと、一日、二日で丸亀に到着することもあったようですが、追い風が吹かなければ先に進めません。しょうがないから風待ちや、潮待ちをしながら、じっと待つわけです。その間、旅人は瀬戸内海の風光を眺めながら、酒を酌み交わし、弁当に舌鼓を打ち、お国自慢や世間話に花を咲かせて、船旅を楽しんだそうです。
さて、丸亀につきますと、そこから丸亀街道を琴平(ことひら)に向けて進みます。丸亀港には参詣人が増えるにつれて、夜間の航行のため多くの灯篭(とうろう)が寄進されたそうで、今でもよく見ると江戸から伊勢の四日市までの千三百五十七人の名前と住所が連なっているそうで、金比羅船の痕跡が明快に残っているそうです。
実は丸亀街道のほかにも、琴平に通じる多度津街道、伊予街道、高松街道、阿波街道など琴平に向かって「金比羅街道」が何本も通じており、これらの道筋には大名をはじめ、文人墨客、役者、侠客、関取や諸国の商人ら、参詣人が寄進した灯篭、鳥居、道標、丁石などが現在も三百余残って道中の盛況を物語っているとか。もしかしたら清水次郎長の代参をした“森の石松”の名もあるだろうか、いや、あれは後の浪曲師が作った話だから、ないだろう、などと退屈しないのであります。
さまざまな金比羅参り
航海の守護神、遭難除けの神として、金比羅へは全国の船乗りや海運業者が参拝しましたが、そのほか大名、武士から一般庶民、文人なども多く参詣しました。
『金比羅道中膝栗毛』や『金草鞋(かねのわらじ)』には、ひょうきんな金比羅道中を記した江戸時代の十返舎一九も、丸亀の大黒屋清太夫の宿に泊まったのち、丸亀街道を南に下って金比羅に参っています。そのほか有名人では『諸国名所図』や『六十余州名所図会』に象頭山遠景などを描いた歌川広重、金比羅神城に襖絵を沢山描いた円山応挙(まるやま・おうきょ)、「象の眼の笑ひかけたり山桜」と詠んだ与謝野蕪村、「おんひらひら蝶も金比羅参り哉(かな)」などを詠んだ小林一茶もまた、一度は丸亀街道を歩んでおります。
そのほか、松江藩主、松平候のお抱え有名力士、雷電為右衛門や、幕末の志士高杉晋作など老若男女のあらゆる身分、階層の人たちが琴平に足を運んでいます。歌川広重の『東海道五十三次』「沼津」の景や、『京都名所』「淀川」の景にみられる天狗面と笈を背負った人物も、おそらくこの金比羅行者であったらしいそうです。当時は天狗の面をつけて笈(おい:背負う箱)を背負った姿が、金比羅行者のいでたちだったのです。
金比羅狗と流し樽
各地で組まれた「金比羅講」でそろって参詣する講参りや、講中を代表して何人かが参る代参の風習もあったそうです。自分が参詣できないとき特定の人に代参を頼んだり、飼い犬に代参させる風習もありました。
飼い犬に代参させる方法は、犬の首に路銀とさい銭を結びつけて旅に出すと、これをみた金比羅道中の人が、その狗(犬)を参詣につれていき、無事に代参を済ませると、犬の首に御札をくくりつけてくれ、帰路もまた誰とはなしに、つれて帰ってくれて飼い主のもとに戻ってきたそうです。この犬を「金比羅狗(こんぴらいぬ)」とよんだとか。
また、遠い地方に住む人や瀬戸内海を航行中の人が、金比羅神に初穂料を献上するために、樽にさい銭などを入れて、「奉納金金比羅大権現」と書いたのぼりをつけて海に流しておくと、見つけた漁船がこれを拾って金比羅本社まで運び、代参してくれるという風習があって、これは現在も行われ、金比羅独特の代参風景で「流し樽」、「流し初穂」と読んでいます。
参考図書 『旅の民俗誌』岩井宏實著 河出書房新社 2002年
