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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。



(357)洋式トイレ

 

『昭和の玉手箱』赤瀬川原平著

 ●格上げされた洋式トイレ

  

トイレの話である。ちょっと我慢してください。でもこれは重要な文化論なのだ。
 昔の日本のトイレは、当然ながら和式だった。大と小と、用途によって二つあり、あるいはこれを男女と分類することもできる。いまはモノセックスという言葉もあらわれ、男女の性差は薄くなってきているけど、昔はもっと歴然とあった。男尊女卑といわれる世の中だったせいか学校で「大」の方のトイレに行くのはものすごく恥ずかしかった。それは「女」の方のトイレに行くことを意味するからだ。

 

で、嫌だから家に帰るまで我慢しようとするあまり、結局は我慢しきれずに大惨事に至る、ということがあったのである。
 それに昔は水洗便所なんてまずほとんどなくて、みんな汲み取り式だった。だからトイレで、特に大のほうにしゃがんでいる時など、下には薄暗い肥溜めがあり、臭いし汚いし、おちたらおしまい、子供心にもなんだか地獄のイメージがあったのである。それだけに昔のトイレというのは大変な哲学空間でもあり、世の中はキレイゴトだけではないことを、そこで無言のうちに教えられていたのである。
 
 一方、肥やしというのは畑の肥料として大々的に使われていて、農家の人のほうからお願いして汲み取りに来て、むしろお礼に野菜を置いていってくれるということもあったのだ。
 そういうリサイクル社会のお陰で、油断すると体内に回虫が発生するということもあったのだけれど、しかし花粉症なんてきいたこともないという強い体で、みんないまよりはるかに免疫性は高かったのである。

 でもやはり人間社会には綺麗と汚いという感覚があり、家の中では便所がいちばん薄暗くて汚い場所と意識されていた。
 いちばん綺麗な場所は玄関であり、お座敷であり、居間やその他は中くらいの所で、台所は、実力は認めながらもその下に位置するというような、家屋空間内の階級制というものがはっきりとあった。

 さて戦争が終わって焼け野原からの再建がはじまり、世の中はアメリカ式の民主主義で行くことになった。平和、平等、言論の自由など、いろいろ言葉が飛び交ったけど、大人だって実質は大してわからなかったと思う。

 

人間の言葉や頭の働きには限界があり、それよりも体の反応というか、道具や建物の変化というか、世の中の自然の流れというもののほうが物事の実質を体現してくる、ということがある。

 戦後民主主義のシンボル、モデルともいえるのが団地だとぼくは思っている。いまのマンションもまあ同じだ。とにかく高層(少なくとも三階建て以上)のビルの中に同一の住居空間が合理的に格納されている。

 その結果、たとえば、団地には玄関がない。勝手口もなくて、一つの出入り口に統一されている。上下の階層の違いがなくなっている。お座敷もなくなり、その代わりにリビング・ルームが出来た。これはお座敷の格下げと、居間の格上げにより、双方を平等に統一した空間である。台所も主婦の地位の向上と共にダイニングルームと改められて、茶の間と統一され、リビングルームとほとんど同格の空間になった。

 そして便所である。かってそこに地獄をもイメージすることのできた装置は水洗式となり、汚さも匂いも消えて、他の空間とほとんど平等に扱える一人前の部屋になった。
 その平等の極点ともいえるのがいわゆる洋式便所で、それが大小、男女の別を取り去り、すべてを一つの便器に統一して、汲み取り式の地獄世界をふさぐ栓となったのである。

 こうして団地、及びマンションの中の空間はすべて差別なき平等の部屋となったわけで、とりわけ最下層にあった便所空間を平等位置にまで引き上げたことは、戦後民主主義の功績として非常に大きなものがある。
 

で、それはそれでいいのだけれど、戦後民主主義の特徴として、どこもかしこも同じで、家の中に面白味がなくなってしまったということがある。平等はいいのだけど、全てがキレイゴトで覆われた観もある。昔、正月や祝日などの目出度い日に国旗を出すことのできた玄関というのがなくなり、今となっては懐かしいし、寂しい。

 今の民主主義は西洋合理主義の延長線上にあるもので、その最先端にあるのがいわゆる洋式トイレの一体型便器なのだ。
 最近はウオシュレットもついて、お尻を水洗いして風で乾かしてくれて、いうことなない。
 でも何かあるんですね。合理主義というのはどうしても人間の頭の限界内のことで、何かしらの閉塞感を感じるのである。人間の頭で考える以上のものの流れているのがこの世の自然というものだから、こんどはまた何か隙間が欲しくなる。



赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)
1937年横浜生まれ 画家 作家 1981年 『父が消えた』84回芥川賞受賞。
昭和の玉手箱 2008年 東京書籍株式会社