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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(336)漢字の始まり

  

 現在残っている最も古い漢字は、「甲骨文字(こうこつもじ)」と呼ばれるもので、実在が確認されている最古の王朝である殷(いん)時代の最後の頃、(紀元前1300~紀元前1000頃)に使われていました。

 

 殷の人々は、戦争や農業、狩猟はもちろん、日常的に「帝」や「上帝」といった天の神や自然神、祖先神といった神からの信託をふまえて生活していました。
 この神の信託を得るために、頻繁に占いが行われたのです。占いには牛の骨や亀の甲羅が使われ、これを火であぶってできたひび割れによって、吉凶を占いました。日本でも古代には同じ占いがあり、「ふとまに(漢字では「太占」と書く)」と呼ばれています。
 

 そして、占いが済んだ後で、いつだれが、どのようなことを占ったかを記しました。
 この内容を彫りつけた文章が甲骨文字で、漢字の原形とされています。甲は亀の甲羅、骨は牛などの獣の骨を意味しています。文字の数は約四千五百、そのうち約半数が解読されています。

 

 甲羅や骨は硬いので、文字を刻むために青銅などでつくった鋭い刃物を使ったとされましたが、墨や朱で書かれたものも発見され、筆も使われていたと分かります。
 書き方も現在とは異なり、文章全体にある縦の線だけをすべて刻んでしまい、次に骨や甲羅を九十度回転させて横の線をそれぞれの字に刻み付けたとされています。
 硬い骨や甲羅などにはそうした方が刻みやすかったのでしょう。また、亀の甲羅は背側ではなく、腹側を使っていました。

 

 この辺りの話は、日本人ですとたいてい中学で学びますが、おさらいという意味と、次の話などは、面白いのではないかと、記しました。
 甲骨文字が発見されたのは意外に新しく、清朝末期の1899年のことでした。国立大学の学長だった王氏は、古代の文字に詳しい学者だったのですが、持病があり、これに特効薬とされる「龍骨」を服用していたそうです。古代の龍の骨が地中から発見されたとの漢方薬ですが、実際は、空想上の動物である「龍」ではなく、何かの動物の骨で、これを細かく砕いて煎じて飲むと、病気が治ると信じられていたとか。
 

 あるとき王さんが、龍骨を眺めていると、表面に文字のようなものがあることに気づきます。そこで古代文字に詳しい劉さんと一緒にこれらを集めて調査したところ、古代文字と判明したそうです。有名なエピソードだそうですが、のちに『河北日報』という地方新聞によると、どうも骨董商などが王さんなど収集家に持ち込んだのが真相だろう、と報じています。

 

 王さんは、この翌年、義和団の乱の排斥運動鎮圧のために連合軍が北京に迫ったときに邸内の井戸に身を投げています。で、王さんが収集した甲骨は劉さんが譲り受け、さらに自らも収集を続け五千点を超える甲骨の中から、文字が鮮明なものを選んで拓本を取り、『鉄雲蔵亀(てつうんぞうき)』として刊行しました。
 

 こうして、1903年、甲骨文字は劉さんによって初めて紹介され、エジプトのヒエログリフと並ぶ古代の未解読文字研究が中国で開始されました。


 甲骨文字の研究にいち早く取り組んだのが、羅振玉(らしんぎょく)とその娘婿の王国維(おうこくい)でした。羅振玉は辛亥革命で清朝が滅んだ後、一時、日本の京都に亡命していたこともある人物です。
 彼は甲骨文字を収集し、二一〇六点の拓本を取り、それを八つに分類して、1913年『殷墟書契前編(いんきょしょ・けいぜんぺん)』として印刷し、さらにここから六八点を選び、写真製版として日本で印刷した『殷墟書青華(いんきょしょせいか)』を刊行します。
 では、いったい、甲骨文字にはどんなことが書かれていたのでしょうか。

① 占うべき事柄 ②占いの判断 ③その結果起きた事件

 なっているそうです。最も①の占うべき事柄だけのものがほとんどだったとか。

甲骨文字は三千年以上も前の文字ですが、発見から数十年でほとんどが解読されているそうです。何よりも漢字が数千年という長い年月にわたり使われ続け、文字そのものや言語体系を変えなかったことが大きな理由でしょう。
 

 残念ながら共産党中国は漢字を簡略化し、また南北朝鮮では漢字それ自体を廃止しました。よって続いている昔の歴史を読むことができません。歴史を正確に知ることが不可能です。
あるとき、台湾と香港の友人が私の持っていた『新唐詩選』をそのまま読んで理解したのには驚きました。「だって何もかわっていないもの」と不思議そうな顔をしていました。勿論、少しは変わっているでしょうが、変えないというのは大事なことなのでしょうね。


引用本:『面白いほどよくわかる漢字』 山口謡司著 日本文芸社