(256)創造性はだれでも、どこでも、いつでも発揮できます
田中耕一氏著書からの引用
最近もっとも気になっている、ある「常識」について、お話ししたいと思います。それは、「日本には独創性がない」という常識です。
このテーマに関して、最近、非常に興味ある資料を見つけました。それは2002年春に日本で開かれた「ノーベル賞100周年記念国際フォーラム」で、ストックホルムにあるノーベル博物館の館長、スヴァンテ・リンクヴィスト(Svante Lindqvist)さんが話された講演録です。この方は、過去100年間にわたるノーベル賞受賞者について、世界で最もくわしく知っている人のひとりと言えます。つまり、創造的な人、その発明の背景にはなにがあるのかを、よく知っている方です。
個々人にとって創造性を発揮するには、なにが必要か?
「勇気」「挑戦」「不屈の意志」「組み合わせ」「新たな視点」「遊び心」「偶然」「努力」「瞬間的ひらめき」
この九項目を、「ソフトレーザー脱離イオン化法」を発見した当時の自分に当てはめてみました。(百三十八ページ以下にこの発見にいたる過程を詳しく説明してあります)。私には、「挑戦」する「勇気」がありました。「不屈の意志」もありました。二つの補助剤を「組み合わせ」て使うという「新たな視点」もありました。間違って混ぜてしまったものを、これでも使ってみるかという「遊び心」もありました。間違えたのも、ある意味「偶然」ですし、失敗つづきでも「努力」しつづけました。混ざったものを使ってみようと思ったのも、なんらかの勘、「瞬間的ひらめき」がなかったとは言えません。
こう考えてみると「私は意外に独創的なことを行う素質があったのだな!」と、得意になってきます。
「しかし、待てよ! よくよく考えると、これはふつうだれもが大なり小なり持っている性質ばかりではないか?」
私は「独創的能力」を、なにか非常に特別な能力と、誤解していたようです。
みなさんも、「自分にはそんな能力はそなわっていない」と思い込んで、せっかくの能力を抑え込んでいるのではないでしょうか? 私が昨年の一〇月九日以降に、「なぜ自分がノーベル賞を受ける価値があるのか?」と思い悩んでしまった背景には、日本の技術者・研究者に共通する問題点があるのではないか、と感じます。
だれにでも、当然のことながら、独創性があります。「人類は創造的な動物である」という事実を忘れないでください。私は二〇代で「ソフトレーザー脱離イオン化法」を開発しました。私といっしょに化学賞を受賞したジョン・B・フェン(John B.Fenn)教授は、七〇歳で、「ESI法」という、私の方法とは別のイオン化法を発明しました。だれでも、いつでも、独創性は発揮できます。
さて、リンクヴィスト館長は、もうひとつ重要な意見を述べています。「創造性を育む環境には、どんな特徴があるか」ここでは一〇項目が挙げられています。
「集中」「人口密度」「多彩な才能」「コミュニケーション」「ネットワーク」「インフォーマルな会合の場」「往来がしやすい」「資源」「競争(業績へのプレッシャー)」「カオス『組織の不安定な状態』」
この項目を見て思い出したのは、1980年代に私が所属していた、島津製作所中央研究所の状況です。ここでは、大学を出たばかりのスタッフを中心に約五〇名の研究員が、ひとつのフロアに席を並べていました。専門は、物理・電気・ソフトウエア・化学・機械などさまざまで、出身地や大学も異なっていました。開発していた装置も、医用機器・分析装置・産業機器と多種多様で、そうしたまったく異なる研究が、数メートル離れただけのところで、同時並行で行われており、休息時間の雑談やオフィスでのうるさい討議を含め、意味もわからないまま、別分野の研究成果も聞かされていました。
これらは、リンクヴィスト館長が指摘された一〇項目のいくつかに当てはまります。こんな環境も、独創性を発揮するのに役立っていたのだと思い知らされました。今のオフィスは非常に整備されており、まわりからのうるさい「雑音」が少なくなった分、仕事に集中できるようになりましたが、はたしてこれが良いことばかりなのか? 考えさせられます。
日本全体を見渡してみると、たぶん、今の日本に欠けているのは、「多彩な才能」が集まる「インフォーマルな会合の場」だと思います。しかし、個々人にとって創造性を発揮する九項目をも含め、すべてが揃わなければならないというわけではありません。逆に、すべてが揃っているからといって、独創的な仕事がたくさんできるとも言えないのです。
もうひとつ、今の日本に欠けていると思われるのは、「競争」です。日本の中にある良い点のひとつはチームワークです。しかしそれだけでは、技術を育てていくのがむずかしい面もあります。フェン教授の「ESI法」とレーザーを使ったイオン化法は、ほぼ同時に発明され、お互いにライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)して、性能を劇的に向上させることができたから、ともに、これだけ役に立つ技術に育ったのです。チームワークも大切ですが、それが単なる仲良しグループに終わってはいけないと思います。
さらに、私が注目しているのは、「組織の不安定な状態」です。いまの日本の経済状態は良くありません。会社はいつつぶれるか分からないし、いつクビになるかも分かりません。先の見えない不安な感じが、世の中を覆っています。でも、苦しいときこそ、独創性を発揮するには良い機会かもしれません。「これに賭けるしかない」という追いつめられた状況から、とんでもなくすごいものが出てくる可能性だってあります。この可能性が実現して、これから一〇年後、二〇年後に、「あのときが、日本が新しい時代に入る転換期だったんだな」と思うことができたら、どんなに良いでしょう。
私も現役のエンジニア・研究者として、その日のために、これからも、独創性を発揮すべく、がんばっていきたいと思います。
ほんとうに、そう思います。
引用本:『生涯最高の失敗』田中耕一著 朝日新聞社 2003年 83P~89Pを引用しました。著者は2002年ノーベル化学賞・文化勲章受賞者。
