(355)昭和の玉手箱 | 江戸老人のブログ

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(355)昭和の玉手箱

  


忘れかけた昭和の記憶をひとつひとつ眺めると、色々な思い出が詰まった品々が出てくる。作家の赤瀬川原平氏が選んだ品物をご紹介させてください。


高級でおしゃれだったブルーフレーム

 

石油ストーブはいまでこそありふれた、むしろ古めかしい暖房器具になっているが、昔は高級なおしゃれな物品だった。
 そもそもは薪だったのである。戦前の話だ。いや戦後だってしばらくそうだった。
 そのころ僕は地方都市の大分にいたんだけど、家は町の中心近くにあって、それでも台所は土のタタキで、黒くすすけたカマドがあって、燃料は薪だった。
 カマドの中で薪をうまい具合に構築して、新聞紙の丸めたのを入れて火をつけ、火吹き竹で吹くのである。火力の調節は薪の出し入れで行い、消すときはどうするのだったか。なんだかうやむやにして炎を消して、ぶすぶすと煙をくすぶらせながら、自然消火を待ったのだと思う。それを毎日、しかも食事のたびにやるのだから、昔の主婦は大変な技術者だった。

 

ガス台もひとつだけあったと思うが、ガス代が高かったか、あるいは器具が不良だったか、あまり使ってなかったように思う。
 戦後になってからか、練炭があらわれた。石炭や木炭の粉を練って円筒形に固めて、空気の穴が何本もレンコンの穴みたいに開いたもので、七輪にセットして火をおこしていた。これも着火までは手間がかかる。同様のものをダンゴ状にしたタドンというのもあった。いずれも着火には難易度の高い燃料である。それでも薪に比べればずいぶん規格化されて簡便になっていたのだ。
 そして現れたのが石油ストーブ。
 もう戦後だいぶ経っていたと思うが、はじめは石油コンロだった。ストーブという暖房専用の道具はたいへん贅沢なもので、それはまだ後のほうだ。はじめにぎりぎり必要なもは食事のための煮炊きをする火力だった。
 

そのころ独身者が下宿で何かひとつ熱源をというと、石油コンロである。1950年代。下宿の部屋でまきを燃やすわけには行かない。練炭やタドンは安いのだけれど、いったん火をつけたらすぐには消えないし、途中で消してまた後で使うということはしにくい。
 電熱器というのもあり、装置は簡単で、つけたり消したりもたやすいのだけれど、電気代が猛烈に高くつく。それに事故が多かった。
 となるとどうしても石油コンロ。
 今みたいにポリタンクはなく、ブリキの一斗缶に石油を用意した。底からプラスチック製のプカプカと押す簡易ポンプ石油を吸い上げ、石油コンロのタンクに入れる。うまくいけば石油に触れずに済むはずだけど、まず絶対にうまくはいかない。終わってポンプの先を引き上げるとき、どうしても雫が垂れてきてしまうし、缶の蓋をするときどうしてもその辺に、石油がにじんで、指に付く。そんなあれこれやで、下手をすると食べ物が石油臭くなってしまう。

 石油といっているが正しくは灯油だ。ガソリンとなるとあっという間に火がつくので危険である。時々これを間違えて大事故になることがあり、そういう危険をはらんでいる。それともう一つ、うっかり横に倒すと灯油が流れ出て大事故になる。だから石油コンロ、 石油ストーブにはどうしても「危険!」というイメージがあり、下宿によっては石油コンロ使用禁止というところがあって困るのだった。


 少し余裕が出てくると、炊事用の石油コンロのほかは、暖房専用の石油ストーブが欲しいということになる。
 当時石油ストーブのいちばん高級でおしゃれなのが、アラジンのブルーフレームだった。
ブルーフレームを使っていたり、持っている人は大変な文化人と思った。それ程石油くさくならなかった
平べったいドーナツ状のタンクがあり、真ん中に細い円筒が立っていて、その側面に丸い窓が開いている。透明な雲母がはめてあって、中の青い炎が見える。その炎が丸く輪のように広がりながら、実にとろけるような透明な青色なのである。
 四方に細く短い脚、そして安定した円盤の上にすっと立つ細い塔、という形が実に優雅で、あの時代の垂涎の暖房器具だった。

 今は「垂涎」というと車ではベンツ、時計ではロレックスとか、カメラではライカとかあるけど、あの時代のアラジンのブルーフレームはそれに匹敵するものだった。
 あの時代というのは、1960年前後ということになるか。いまでもあのアラジンは現行品として流通していると思うが、「垂涎」という現象はおきにくいようである。

 

最近はエアコンがあらわれ、電熱式でも単純にコイルを熱するのではなく、いろいろ燃料費の安いのが開発されている。床暖房もあるし、石油燃料でも下からの温風式とか、昔のスチーム暖房のような温水式もあるし、ぱっと見たのでは熱源がガスなのか石油なのか電機なのか分からない。たまにオーソドックスな石油ストーブに出会うと、ほのかに石油の、灯油の匂いがして、そうすると一瞬にあの時代の、石油コンロの環境がよみがえる。しばらく目を閉じて追想にふけったりするのである。


『昭和の玉手箱』 赤瀬川原平 東京書籍 2008年