(352)「食の記憶」でたどる昭和史 | 江戸老人のブログ

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 「食の記憶」でたどる昭和史


 (352)玉子とニワトリ 

           山川静夫(エッセイスト)著



 世の中は、朝食の玉子かけご飯をあまり食べなくなっているようだ。

 女房は、生玉子をそのまま御飯にかけるなんて野蛮人、と馬鹿にするが、こんなにうまくて栄養価の高い朝食はないと、ひたすら食べ続けている。

 その玉子かけ御飯については、太平洋戦争中、なつかしい思い出がある。

 耐久生活が当たり前の時代だったから、朝食で、姉と妹と私の三人きょうだいに与えられる生玉子はわずか一個である。

 母が、三人の御飯茶碗に、等分に一個の玉子を分配しようとするのだが、この玉子というものはヌルヌルしていて、必ず、かたよるくせがある。

「お姉ちゃんの方が多いよ」

 私がいうと、妹が、すかさず、

「お兄ちゃんの方が多い」

 と不満を表明する。母は根気よく、子供の意見をききながら、あくまで平等をむねとして配分していくという、まことに辛い時代であった。

 いまの玉子一個の値段からは、とても考えられないことだが、その分配騒動が、毎日のように起きるのだからたまらない。さすが、幼い私たち兄弟でも、ない知恵をしぼった。

「そうだ、玉子はニワトリが生むんだ、だからニワトリを飼えばいい」

 ひとすじの光がさしこんだようだった。きょうだい三人は、とぼしい小遣いを出し合って、三羽のニワトリを手に入れ、裏庭に金網の囲いを作って飼育を始めたのだ。

<生んでくれ!生んでくれ!>

みごと私たちの願いは叶った。三羽のニワトリは次々と玉子を生むようになったのである。そして朝食には晴れて一個ずつの玉子を喧嘩せずに食べられるようになった。初めて自分のニワトリが生んだ玉子を、虎の子の御飯にかけて食べたときのおいしさは、生涯忘れないだろう。

これに味をしめたきょうだいは、ニワトリの世話に小資本を集中させた。やがてニワトリは十羽近くまでに増えた。

そんな頃、遠来の客があった。父のふるさとの親友である。父がソワソワしはじめた。余裕の食料などひとつもない。だから客をもてなすメインディッシュがないのである。まさか大根やニンジンでもあるまい。父は困り果てて、女学生の姉に相談した。

「ニワトリを一羽絞めてもてなそうと思うがどうだろう」

「いやよ」

「そうだろうな」

「当たり前でしょ」

「しかし、ここは目をつぶって、なんとか一羽だけ分けてくれんか、頼む」

 真っ向から反対していたきょうだいも、父の窮状を見かねて、とうとう折れた。

 父も胸が痛んだと思うが、ヤレヤレこれで遠来の客をもてなすことができると、子供たちの見えないところで自分で絞めて鶏飯を作った。

そんなことを知らない客人は、うまい、うまい、と喜んで食べていたが、きょうだい三人は、いくらすすめられても鶏飯には手を出さなかった。玉子は毎朝食べているくせに、ニワトリには不思議な愛情がわいていたのかもしれない。(後略)





やまかわ・しずお

 1933年静岡生まれ。エッセイスト。1956年NHKにアナウンサーとして入局。1994年からフリー。歌舞伎関係の活躍で著名。



『あの日、あの味』「食の記憶」でたどる昭和史

 月間『望星』編 東海大学出版会