(310)樋口一葉『たけくらべ』 | 江戸老人のブログ

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(310)樋口一葉『たけくらべ』

 


 樋口一葉の『たけくらべ』を読んだのは高校生のころだったかと思う。まだよく理解できなくそれ程すばらしいとは思わなかった。しかし、田中優子氏の解説というか作品、「樋口一葉、いやだ!といふ」を読み印象が変わった。少年といっていいころに読んだものが老人となってから読むと全く違った印象になる。全編に江戸の余韻を感じる。そのあたり一部を引用させていただき、雰囲気を感じていただきたいと願います。


大道芸人たち
 『たけくらべ』は町のような小説だ、と述べた。まさに町を描くシーンがたくさん出てくる。町には芸人たちが歩き、それを(主人公の)美登利は毎日のように楽しんでいる。
 ある日、美登利は筆屋にいて、外を眺める。そこに芸人たちが通りかかった。時は明治二十六、七年(1893、1894)。場所は吉原裏に位置する下谷(しもや)区竜泉寺町の表町通りである。
 樋口一葉は明治二十六年の七月に竜泉寺町に越し、二十八年一月に『たけくらべ』の連載を始めている。彼女が触れた吉原の活気は、このころのものである。

 

 季節は夏。新暦八月二十日を過ぎたころだ。筆屋の店先に腰掛けて表を眺める美登利の前を、まずは「よかよか飴」が通り過ぎてゆく。よかよか飴は飴屋である。頭に飴を入れた大きな丸いたらいをのせ、たらいの縁には提灯をつけ、うちわや太鼓をたたきながら歌って歩く。おかしな格好だが、そもそも飴屋は江戸時代から、できるだけおかしな扮装を凝らし、おかしな事を言って笑わせるお笑い芸人だったのである。


 トラ模様の羽織を着て日傘をさした「土平:どへい」、張子の馬を腰につけて「ほにほろほにほろ」とわけのわからないことを唄ってあるく「ほにほろ」、唐人の装束でチャルメラを吹きながら「あんなんこんなん」と売って歩く唐人飴、女装をして面白がらせる「おまんが飴」、とっかえべえと叫ぶから、鍋釜を渡すと飴になって返ってくる「とっかえべえ」。そんな陽気な飴売り芸人の最後の末裔こそが、明治の「よかよか飴」だった。飴屋のまわりには必ず子供たちがたむろした。

 

 太神楽(だいかぐら)が通る。もともとの大神楽は獅子の頭と白袴。大太鼓を打ち、笛を吹いて踊りゆく。獅子舞は魔よけである。人の頭のあたりをぱくぱくと魔を食いながら、人を活気づけた。しかし江戸後期になると、笛太鼓に合わせ、筒型のかごで玉の曲芸を見せるのが太神楽であった。初春ともなると大黒舞に続いて太神楽が吉原のなかに入って、遊女や客を楽しませたのである。

 小さくてかわいらしい角兵衛獅子も通る。
 

 二人組みの少年が木綿の筒袖に卍紋の胸当てをつけ、くるぶしでつぼまったたっつけ袴をはき、腰に鼓を、頭に赤い獅子頭をつける。達者な口上をいいながら逆立ちをしたり、金の鯱(しゃちほこ)のように体を曲げたり、二人組んで複雑な形を作り出す。身体の柔らかい子供たちの芸であった。これもまた、吉原に入って大道で芸を見せる。
 

 住吉踊りの集団も通る。てっぺんに白い御幣(ごへい)をつけ、赤い布をまわりに垂らした巨大な笠がその特徴だ。その傘の下に陽をよけながら、五、六人が揃いの浴衣を着て通る。

 踊りを披露するときは、三味線に合わせて笠のまわりで踊りだすのだ。歌川広重(1797~1858)の浮世絵には、墨よりアド利の集団の後ろに、藍染の浴衣を着た女太夫(おんなだゆう)がつきそい、三味線を弾きながら通ってゆく風景が見える。

 人形遣いも通る。遊行の人形つかいは傀儡(くぐつ)といって、旅芸人である。首から下げた箱の中に人形をいれ、語りながら大道で見せる。劇場でおこなう人形遣いとは違って、見た目でそれとわかるのだ。

 

 破れた三味線抱えて、老人が少女と歩いている。少女はまだ五、六歳で、着物に赤いたすきをかけている。吉原の大道で「かっぽれ」を踊るのだろう、と美登利は思う。
(中略)
 彼らの得意客は遊郭内にいる。ひとつは居続けの客つまり、妓楼に入ったまま何泊もして帰らない客である。もうひとつは、他に娯楽のない遊女たちだ。であるから、彼ら芸人たちは表町通りの店や家には門付けしない。眼もくれない。ただただ吉原に向かって通り過ぎてゆく。一葉はその様子を、次のように書いている。

 彼処(かしこ)に入る身の、生涯やめられぬ得分(とくぶん)ありと知られて、来るも来るも此処らの町に細(こま)かしき貰いを心に止めず、裾に海草(みるめ)のいかがはしき乞食さへ、門には立たず行過ぎるぞかし。

 

 吉原に入ってゆくのは、よほどいい収入になるのだろう。来る人、来る人、ここらの町のささやかな銭など意に介さず、通り過ぎてゆく。ぼろをまとった、かなり惨めな姿の乞食でさえ、美登利の座っている(そして一葉が暮らしていた)筆屋や桶屋やたばこ屋や豆腐屋や人力車屋の並ぶ表町は決して貧しい町ではない。米屋も質屋もべっこう屋もたんす屋も薬屋もあるふつうの町である。にもかかわらず、そこで門付けして得られる収入など問題にならないくらい、吉原ではいい客がつく。「来るも来るも」という言葉は、次々と目の前を通り過ぎる芸人たちの賑やかさと同時に、吉原の活気と豊かさをも、表現しているのだ。



引用本:「樋口一葉『いやだ!』と云ふ」 田中優子著 集英社新書