(257)日本の先端科学技術 | 江戸老人のブログ

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(257)日本の先端科学技術

 

 

 1900年代、つまり20世紀に入ると日本人の化学技術に対する貢献が世界を揺るがすようになった。1901年に第一回ノーベル賞候補に推挙された北里柴三郎(1853~1931)は、ベルリン大学のコッホに学び、ベーリングと共同し、ジフテリアとこの血清治療法を、また破傷風菌の純粋培養、同血清療法を産み出し、世界の注目を集め、絶賛された。当時はまだノーベには「共同受賞」の考え方がなく、加えて帰国後に東京大学医学部と「脚気の原因」について「細菌が原因ではない!」と強く主張したため、日本医学界から強い非難を受けた。つまり日本で評判が悪かった。このためもあり第一回ノーベル賞受賞を逃したのだろうとされる。人種差別によるとの確証は得られていない。 また帰国後に香港でペスト菌を発見した。

 


 秦佐八郎(はた・さはちろう:1873~1938)は、コッホに学び梅毒スピロヘータを発見、砒素化合物サルバルサン治療を確立、「難病中の難病」の克服方法を確立、世界を仰天させノーベル生理学・医学賞候補になったが、指導教官のエーリッヒのみが受賞した。理由は不明。
 明治40年代にはいると、日本の学術研究は世界レベルを飛び越え、世界に強い影響を与えるレベルに達しだした。重複をお許し頂いて、いくつかを御紹介したい。



一、オリザニンの発見

 明治四三年、鈴木梅太郎(1874~1943)は米麹のなかに、脚気治療に有効な成分があると発見、これを「オリザニン」と名づけた。オリザニンは現在ではビタミンB1として広く知られるが、医学的に「ビタミンの概念」を世界で最初に発見したのは鈴木梅太郎である。
 

 同時期にほぼ同じ発見をしたポーランド人科学者C・フンクがビタミンとした。昭和十八年に鈴木が「勲一等瑞宝賞」を受けたときの添付記録に、「鈴木博士は日本において数年前より発表せる成績十数報の論文を1912年(明治四十五年)八月、ドイツ生化学雑誌に掲載したので、明らかに鈴木博士のほうが早いのであるが、始めは日本文のみで発表したために、外国人の目には触れず、あたかもフンク氏より遅れたかの観を呈したのである」と説明され、国際的知名度のなさが原因のひとつになったようだ、とある。
 

 さらにオリザニンは発表当時、日本の医学界から拒絶されたとの事情もあった。「脚気」という病気は、ビタミンの欠乏から起こるが、当時の医学界では伝染病との説が有力、鈴木の学説は受け入れられなかった。代表的反対派人物に森鷗外がいる。
 鈴木は明治四十四年に特許を取得し、三共商店からオリザニンとして発売したが、まったく売れなかったという。しかし研究が進むにつれ、栄養学上の有効性が多数実証され、鈴木梅太郎の功績も評価されるようになったという。



二、 グルタミン酸の発見

 「味の素」は何から造られているかご承知だろうか。石油、毛髪、大正時代には「ヘビ」との説もあったそうだが、正解はサトウキビの「糖蜜」から造られたグルタミン酸だ。現在は、味噌・醤油と同じ発酵法で製造されている。かっては小麦粉を塩酸で焼くなどして分解しグルタミン酸にし、これを脱色・濃縮してグルタミン酸ナトリウム(味の素)を造っていたという。
 この「味の素」の歴史をたどると、科学者、池田菊苗(いけだ・きくなえ:1864~1936)と、実業家の鈴木三郎助(すずき・さぶろうすけ:1868~1931)の出会いがあって初めて世に出現したという。
 
 明治四十年、東京帝大理科大学教授の池田菊苗は、昆布から旨みの素であるグルタミン酸ナトリウムを採取することに成功する。「グルタミン酸」自体は、明治初年にはすでに発見されていたが、池田は「昆布だし」を研究するうち、単なる化学物質ではなく味覚に関する「うまみ成分」だと発見した。
 何でもないことのようだが、人類の味覚、1.甘み 2.酸味 3.塩味 4.苦味 の四種類だと信じていた人類の味覚に、5.「うま味」があり、それを具体的に物質として抽出して証明したことは人類的大発見といえる。
 これを販売しようと探した結果、白羽の矢が立ったのが鈴木製薬所(現・味の素)だった。

 こうして明治41年「味の素」が発売された。宣伝効果もあり、次第に普及し、大正十一年には300万トン以上の生産量をあげ、国内だけでなく台湾、中国へも輸出され現代に続いている。日本のインスタントラーメン、カップ麺の世界への台頭は、こういう素地の上に登場したらしい。




三.タカヂャスターゼの発見

 夏目漱石の小説『我輩は猫である』にも登場することで有名な胃腸薬タカジャスターゼは、明治二十七年、日米で活躍した科学者高峰譲吉(1854~1922)が発見した。明治二十七年に発見された「タカジャスターゼ」とは、麹菌からデンプンを分解する酵素を抽出したもの、高峰はこれに自分の名前からとって「タカヂァスターゼ」とした。これは胃腸薬としてアメリカで発売され大ヒットしたという。
 日本でのタカヂャスターゼ発売は「日本人の手で」と願った高峰譲吉は、アメリカの販売会社との契約で、日本での発売を故意にはずしたという。
 日本でタカヂャスターゼが発売されたのは、明治32年、三共商店から。ここの社長であった塩原は、高峰と深い信頼関係を結び、高峰が明治34年に発見した「アドレナリン」の販売も手掛けた。三共商店が三共株式会社となった大正二年からは、高峰が社長に就任している。

 東日本大震災後、何となく日本に元気がないように見えるかもしれない。ところが明治より、日本の科学技術は世界に、いつも一歩リードしていることを指摘し、各位に元気を出していただきたい。従来のエントリと重複もあるが次のようなことがある。

 iPS細胞による治療法研究など、今もトップを走る国のひとつだ。その他介護、介助ロボットが登場してきた。


新幹線は脱線したか?

 平成二十三年三月十一日午後二時四六分、すなわち巨大地震発生のとき、日本のあちこちで新幹線が走行中だった。最高速度は時速270キロメートル。しかし、その後の余震も含め、一輌の新幹線も脱線していない。当然ながら死者・負傷者もない。
 実は、中越地震のとき、新幹線の二車輌だかが脱線した。幸い負傷者はなかったが、ショックを受けた技術者たちは改良をはじめ、JR独自の早期地震警戒警報などを気象庁のと組み合わせ、他にもさまざまな工夫を組み合わせた結果、「まず大丈夫だ・・・・・・」と安心していたという。どれほど高度な技術か? チョッと考えれば理解できよう。なお、台湾で大地震がありドイツとフランスの企業が請け負って工事中だったが、台湾指導部は途中から日本に依頼してきた。「これほどやりにくい仕事はない」とJR東海技術者らは不平を言っていたが、完成後は一秒の遅れもなく運行し、非常に喜ばれている。



原発は危険か?

 福島第一原発は原発が危険なのではない。想定外の大津波を被り、電気系統がすべてやられた結果だ。地震にも強く作られている。チリ津波の経験から、八メートルほどしか想定していなかった。確かに甘かった。

 現在も現場で作業する600名の作業員はじめ、技術者の士気はきわめて高い。背景に「あれは人災だ!」という悔しい想いを共有しているらしい。そのうち歴史が明らかにするだろう。壊れかけた原発の中で、厳しく辛い作業を続ける彼らに世界が注目し「なぜ、やつらは逃げ出さないのか?」と不思議に思っている。理由は簡単、彼らは日本人であるからだ。朝日新聞社はためにする記事を取り消して謝罪した。

 福島第一原発は、およそ40年前のポンコツ炉でアメリカGE社製、現代日本の原発技術水準とはまったく異なるそうだ。10キロほど離れた女川原発では、石油タンクがひっくり返っただけ、何事も起きていない。こっちには冷却水が補給されたからだ。確認しますが地震の規模はM9.0でした。1000年に一度とされますね。信じられないだろうが、女川原発の中では事務職など女子従業員が今も平常勤務しているという。原発のおかげで多くの人々が出稼ぎしないでもよくなった。感情的な反対は人々の雇用を奪う。



スパコン能力は世界一か?

 世界最速のスパコンは、今のところ中国にあるらしい。あと一年ほどで組みあがる理研のスパコンは、中国の演算速度が「兆」のレベルにあるらしいところ、桁が違い「京」のレベルだという。今回の大震災で、日本のみならず世界の地震学者が使用を申し込んできたが、「残念ながら組み立て中でお役に立てなかった」、と悔しがっていた。

しかし、いったん世界一を抜かれたから、また世界一を目指した開発が始まっている。もし、これが完成すると、自動運転自動車が高速道路だけでなく一般道でもOKとなるそうだ。



放射線量について?

 日本は原爆を二回も落とされた。「百年間は広島には草一本生えない」、といわれたがすぐに嘘と判明した。第二次世界大戦後、武器がらみで亡くなった方の99%が通常銃火器による。(カラシニコフ軽機関銃が最大)。原爆は戦争を抑止する。 

 その間、原子爆弾でなくなった方はゼロである。ガンの放射線治療をも含め、ヒトはそれほど放射線に弱くない。ビキニ環礁の原爆・水爆実験は何シーベルトだったか。広島・長崎の犠牲者は殆どが爆風と熱線による。

 第五福竜丸はあれほどの被曝量で、売血を輸血されて急性肝炎で亡くなったのは久保山愛吉氏だけだった。国際基準と現実とは異なる。広島県の被爆者は、毎月「健康管理手当費」として月々三万五千円を受け取っている。加えて腰痛に要する治療費でさえ国家が支払う。つまり無料である。わが親友がぐずぐずと文句をいっていた。これが原爆特権である。

 昭和39年オリンピックの最中に行われた中国核実験のキッチリとしたデータは日本にもあり、あのときは東京でも福島原発の周囲20キロ内のおよそ十万倍だったという。日本のメディアは一切伝えていない。今回の避難騒ぎなどには何か政治的意図が?と、日本人は疑い始めている。

 以上に加え日本はチェルノブイリの事故でも、日本財団(旧・船舶振興財団)のチームは20年間に渡り現地で治療を続けた。日本は世界で唯一の原子爆弾被爆国である。甘く見てはいけない。放射線医学のデータの積み重ねの量は多い。しかし政治紛争になることを嫌いホントの専門家は沈黙している。


リニアモーターカーはホントに出来るか?

 すでに二年以上前から、名古屋まで直線コースとJR東海では間もなく着工。すでにアルプスの地下がどうなっているかなど土木調査は終了している。まず名古屋まで40分、次いで大坂まで連結し、一時間で東京・大阪間を。30年後に開業予定。費用はすべてJR東海の自己資本。国の援助などは一切なし。なぜ名古屋にこだわるか。理由は簡単で「東京から名古屋まで飛行機で行く客はいない」からだ。航空機との競争が無くなる。明治から日本の鉄道は殆どが自分の費用で作ったもの、戦争のとき国有化しただけだ。



自動車産業から航空機産業へ

 二輪車、四輪車とも自動車産業はほぼ世界へ行き渡った。これからは飛行機産業に重点を移してゆく。三菱航空機はかってゼロ戦を作ったが、同じ会社からMRJ(Mitsubishi Regional Jet)が来年にも就航の予定だ。80人乗り規模で20%の燃料を節約できる。すでに350機の発注を受けているという。もっとも炭素繊維が絡む部品は、今やほとんど日本製である。ボーイング社受注の38%ほどになるという。


参考資料:国立公文書館刊 「発明のチカ ラ」特別展案内パンフレットから。2010年秋