(240)論語で遊ぶ | 江戸老人のブログ

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(240)論語で遊ぶ



 論語の解釈・読み方を書いた本はイロイロあるが、阿川弘之氏のものは面白い。たとえばこんな風だ。


 シ イワ  コウゲン レイショク  スクナシ ジン  

子曰ク、巧言令色、鮮シ仁


の箇所を読むと、阿川氏は頑丈だからと乗用車はボルボを買ったそうだ。ところが取扱店が変わり、新しい会社のセールスマンがニコ ニコしながらやってきた。で、結局「新しいのを買いませんか?」といった。そこで「売りつけるときは笑顔にもみ手で、都合が悪くなったらあとの面倒はみません。そういうのを巧言令色(こうげんれいしょく)というんだ」といったそうな。
 

 「へへ、そこが私たちの辛いところでしてね・・・」などとイロイロあって、阿川氏の書くものにいつも難癖をつける友がいて、
「ふむ、じゃあそのセールスマンは仁がないっていうのね。あのさ、仁なんて人間倫理の最高の理想を求めても無理でしょうが、向うは商売だから、売りつけるときは笑顔にもみ手できますよ、それを『巧言令色』と怒ってみてもしょうがない」

 

といい、その後、阿川氏と議論の後、
「ボクは孔子さんという人は、しがないサラリーマンの気持ちがわかっていないような気がする」
「その頃サラリーマン がいたかね」
「いたかいないか知りませんが、とにかくわかってないです。商社のサラリーマンというのはもみ手と、笑顔とお辞儀の一生ですよ、役人とは違うです。遊里の女の気持ちがわかっていない」
「何の気持?」
「遊里の女――遊女、芸者、ホステス、銀座のホステスがですね、『あたし巧言令色きらいよ』ってんで、一と晩中むうッとしてたらどうなるですか。巧言令色だから面白いんじゃないすか」
「・・・・・・」
「鮮という字は『あざやか』と読めんですか?」
「読めます」
「孔子さんは『巧言令色鮮(あざ)やかなり仁 』といったんじゃないでしょうか」
 

 などと、徹底して遊んでいるところが面白い。

メディアがときどき「知らしむべからず」だ、とかいって政府などを非難するが、どうも妙な使い方であります。もう一冊桑原武夫著の『論語』をもっている。こっち調べてみると、

子曰く 民はこれに由(よ)らしむ可(べ)し。之(これ)を知らしむ可(べ)からず。

 

 とあって、いろいろな解釈の紹介の後、「可」の読み方によって意味が違ってくるそうだ。「可」を当為(筆者には理解不能です・・・)ととるか、可能ととるかによってちがう、と書いてある。
 もし「当為」(広辞苑に出ているけど判読不能)ととり、人民凄いコトバだな?は政府の施策に従わせねばならない。だが、なぜそうした施策をおこなうのか、その理由を知らせてはならない、とするのが、いちばん専制主義的な読み方であるそうな。鄭玄さんは「由は従なり」として、おおむねこのように解釈しているとか。理由などを知らせれば、民のうちの悪い者は、かえって施策に従わなくなるおそれがある、と考えるそうな。
 
 しかし、新しい注釈では、そのように読むことは「聖人の心ではありえない」として、「可」を「可能性」ととり、人民は(凄いね、桑原さんは、人民なんてことば、なかなか使えないぞ!)政府の施策に従わせることはできるが、その理由をいちいち理解させることはできない。現実の話として無理だ、と読む。荻生徂徠(おぎゅう・そらい)も「人間には賢明と愚昧があるので、以上のようになるのは「自然の勢い」だとしているそうな。

 

桑原武夫氏自身は、人民は従わせねばならないが、その理由を知らせる必要はない(知らせてはならぬ、とまではしない)、と読んでおくのが正しいと思う、と書かれており、孔子の徳治主義からいえば、これ以外の読み方はないと思える。と結論しています。「人民」の印象が強すぎるけど、まあいいでしょう。
 
 広辞苑電子辞書で引いてみた。「よらしむべし」で出てきます。で、やはり「理由を理解させるのは難しい」説を取っており、(俗)として「ただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」とあります。あくまで(俗)説であります

 するってえと、江戸時代から、この読み方は同じで、他の本で読んだ記憶によっても、施策の意味や意図を説明しても理解してもらうのは難しいから、普段から民の信頼を得ておくことが大事、とあったな。でも、こんなこと、例えば新聞記者だって知っているだろうに、さっきの「知らしむ可からず」の話ですけど、なぜ、少ないほうの意味で書くのか理解できない。わかっていてわからない振りをしているのかもしれませんな。

 

 最後に阿川氏の本を読むと、違っていた。メディアが、「伝えるべきことを伝えていない」との趣旨が書いてあり、メディアの怠慢を指摘しているらしい。阿川氏の本では、中国とか、北朝鮮とか、韓国の大事なこととか、日教組と民主党 の関係とか、「日教組は教育のガンだ」とか書かないんだよなぁ面白いことは。これって、メディアが自戒を込めて使うときの話じゃないかと、そんなことを考えましたね。簡単な例を言うと、「朝日(毎日)曰(いわ)く、民は之(これ)に由(よ)らしむ可(べ)し。之(これ)を知らしむ可(べ)からず

 


なるほどなるほど、阿川 に遊んだら、すっきり理解できました。ふーむ、そういうことだったのか。



引用本:『論語知らずの論語読み』 阿川弘之 著 講 

     談社文庫 

     『論語』桑原武夫著 ちくま文庫